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船上山
【せんじょうさん】


東伯(とうはく)郡赤碕(あかさき)町山川木地地内にある山。標高615.6m。古期大山(だいせん)火山群の1つで,矢筈ケ山,甲ケ山,勝田ケ山,と連なる大山外輪山連峰の東北端に位置する。東・北・西の3方は峨々たる断崖絶壁をなすが,山上は平坦な高台状地形を呈し,天然の要害の地でもある。当山は元明天皇の頃(710年頃)赤衣上人が智照権現の祠をたて,これを船上山三所権現と唱え神仏両部の霊山として開いたという。山頂に船上山神社と奥の院跡があり,今に残る智積寺の区画跡から当時大山の末寺として栄えていたことが伺われる。鎌倉末期,配流された後醍醐天皇が隠岐島からの脱出を企てた際,この地の豪族名和一族の挙兵により窮地を救われたが,名和長年は天皇を奉り,一族郎党はもとより大山寺衆徒,近郷の勤王派とともに船上山にこもったその時の行在所が船上山智積寺本堂であった。船上山への登山道に東坂と西坂があるが,東坂は天皇が京へ奉還の時,西坂は行在所行幸の際に登ったという険しい坂で,ここは,隠岐判官佐々木清高・清秋の軍勢が攻め上がったが名和氏の奇略により撃退された古戦場である。屏風岩は溶岩流の末端で急崖をなし深い勝田川に落ち込む。その断崖絶壁に美しい雄滝・雌滝・千丈のぞきなど,男性的で勇壮な景観をみせる。屏風岩下の崖錐状斜面はススキの原となり,高原状地形が発達し,その中に行宮碑がたてられている。ここからは雄滝・雌滝や,大山の裾野がよく見わたされる。麓には,船上山自然の家が昭和52年に完成し,青少年の野外学習・社会教育の場として活用されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7175754