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太閤ケ平
【たいこうがなる】


久松山の東北にあって標高252m。本陣山ともいう。羽柴秀吉の鳥取城攻め以前は,帝釈山と呼んでいたが秀吉が帝釈山の山頂に本陣を置いてから以後この山を本陣山,太閤ケ平と呼ぶようになった。「本陣は山の頂,五十間四方に切り,高さ二間に大土手を築廻らし,土手の上には菱垣を結び,南と東とに城戸を立て,角々に櫓を上げ,土手より内に御陣を造り,棟数多建てられたり,さらに,秀吉は山の麓半分計りに,堀を深くほり,鹿垣を夥く構え」と,本陣のつくりが「稲葉民談記」にみられる。今でも当時のままの形をした土塁が残っている。口碑によると鳥取城の兵糧は百谷からこの山峡を通ってひそかに運ばれていたが秀吉がここをしめ切ったため落城をはやめたといわれている。山体は,新第三紀中新世の鳥取層群荒金火砕岩層を鮮新世の安山岩が覆っている。現在,太閤ケ平東北方面に電電公社・NHK・日本海テレビなどのマイクロ中継所が建てられているが,このため樗谿(おうちだに)公園からの登山道が改修され市民にとってかっこうのハイキングコースとなっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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