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竹島
【たけしま】


隠岐(おき)群島の西北157kmの沖合にある日本海上の無人島。隠岐郡五箇(ごか)村に所属。東島・西島と,数多くの岩礁からなり,面積は0.23km(^2)。周辺は豊かな漁場として知られる。近世には竹島を松島といった。また,文禄・慶長の役に関する古文書に竹島の名がしばしば見えるが,これは朝鮮半島先端の欝陵(うつりよう)島のことと思われ,当竹島とは区別すべきであろう。寛文7年「隠州視聴合紀」には,「戌亥間行二日有松島,又一日程有竹島,(俗言磯竹島,多竹魚海鹿按,神書所謂五十猛島歟)此二島無人之地,見高麗如雲州望隠州」と見え,安政6年「隠岐古記集」には,「亥の方四十余里にして,松島あり。周り一里程にして,生木なき岩島という。又酉の方七十余里にして竹島あり。古より是を磯竹島という。竹木繁茂して,大島の由」。貞享5年「隠州記」の穏地(おち)郡南方(みなみがた)村のところには,福浦(ふくうら)港北方の島に祀る弁財天について「此社にて磯竹島へ渡る舟順風を祈り,帰帆之時も又恙なき事を祈る」と記し,福浦港を基地にして漁民が磯竹島に出漁している状況がわかる。日本人の竹島渡海の最古の記事は,「伯耆志」に見える「元和三年竹島渡免許状」で,鳥取県米子(よなご)在住の村川市兵衛・大谷甚吉両名が,鳥取藩を経由して幕府の許可を求めたもの。以来幕府は竹島渡海を許可してきたが,その後,朝鮮人の渡航移住が盛んになり,紛争が起こったため,幕府は元禄9年竹島渡海を禁止した。しかし,「隠州記」に見られるように,漁民の磯竹島出漁は続いていたようである。日本海軍水路部が編纂した「水路誌」には,「欝陵島一名松島」とし,「此列岩ハ,洋紀1849年(嘉永2年),仏国船『リアンコールト』初メテ之ヲ発見シ,称呼ヲ船名ニ取ル」と見え,松島をリアンコールト列岩略称リヤンコ島と命名した。明治36年5月島根県周吉(すき)郡西郷町中井養三郎らは,リヤンコ島にアザラシ漁を計画して渡航した。翌37年の出漁ののち,37年9月29日「リヤンコ島領土編入並に貸下願」を内務・外務・農商務3大臣に提出した。中井の出願で,リヤンコ島が日本領土であるとの確証がないことがわかり,政府は閣議で領土編入を決定し,リヤンコ島は正式に竹島と命名されることになった。明治38年2月22日の島根県告示第40号は,「北緯37度9分30秒,東経131度55分,隠岐島ヲ距ルコト,西北85浬ニアル島嶼ヲ竹島ト称シ,爾今,本県所属,島司の所管ト定メラル」と公示,同年5月17日付で官有地に編入。穏地(おち)郡五箇村村会は,昭和14年4月24日竹島を五箇村に編入することを決議し,以後竹島は五箇村の一部となる。ただし,五箇村の村有地ではなく,昭和20年11月1日に大蔵省所管国有財産となり現在に至る。同29年以降,韓国側の占拠が続き,竹島の周辺500mの漁業権は行使不可能となっている。同53年現在,韓国とわが国の竹島領有権問題は日本海200カイリ線引問題に重要な影響を与え,日本外交上の緊急問題となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7179909