100辞書・辞典一括検索

JLogos

12

錦の浦
【にしきのうら】


八束(やつか)郡島根(しまね)町大字加賀(かか)にある加賀の七浦の1つで,現在田島灘(たじまなだ)と呼ばれている小浜。加賀の潜戸(くけど)の近くで,潜戸大神宮の縁起を記した「潜戸之縁起」に七浦のうち錦の浦について「天照大神彼の浦に坐す時,神達錦を敷賜う浦を錦の浦という也」とある。このことは「雲陽誌」にもみえる。「懐橘談」はあだかえの海辺を錦の浦というと人が教えたと述べ,「後拾遺集」に載る道命法師の歌,「幽斎道之記」に納められている細川幽斎の歌などを紹介。「雲陽誌」も出雲江(あだかえ)の条に「錦浦民家を去ること五六町海辺を錦の浦という」と記し,道命法師・細川幽斎の歌を紹介し,八束郡東出雲(ひがしいずも)町大字出雲郷(あだかや)の中海岸を錦の浦と比定している。しかし,現在出雲郷には錦の浦の地名は残っていない。細川幽斎が九州への途次錦の浦にたち寄ったのは島根町大字加賀の錦の浦で,「懐橘談」「雲陽誌」は間違っている。古地図では,文政天保国郡全図が松江市東津田町付近の現在の大橋川にあたる部分に「錦浦」を記載し,同じころ成立した「出雲国稽古知今図」は松江市朝酌(あさくみ)町付近の現在の大橋川にあたる部分に「錦浦」を記載している。中海(なかのうみ)の雅称錦海(きんかい)は錦の浦に由来する。「松江八百八町町内物語・白潟の巻」によると松江市横浜町の宍道(しんじ)湖岸も古来錦の浦(錦が浦)と呼ばれていたようである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7180505