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犬挟峠
【いぬばさりとうげ】


犬狭峠とも書く。真庭郡八束(やつか)村と鳥取県関金町との県境にある峠。下蒜山の東麓に位置する。標高514m。国道313号が通過する。八束村道目木から北上し,途中雪道の目印とされた樹齢約100年の畝の松並木があり,峠道はなだらかであるが,鳥取県側は一転して関金町山口までの標高差約300mをつづら折りの急坂となる。峠名の起源は,岡山県側には後醍醐天皇が北条方に追われ走ってこの峠を越えたことにちなむ院走り峠,鳥取県側には日本武尊が西国平定の際,当地の平定を念じて矢を放ったという故事にちなむ弓張りの峠があり,それらがなまり字も変わったものという。また犬がようやく通るほどの狭い峠であったという説もある。古くから東伯耆と美作を結ぶ伯耆往来として知られ,「作陽誌」に犬挟越えの名と積雪期の交通難渋が記されている。元禄年間には,伯州湯関宿(関金町関金)と作州長田宿(八束村西原)の問屋の間で物資の継送りがなされ,山中煙草・小割鉄などを移出し,木綿・稲扱などが移入された。享保17年には上長田村(八束村上長田)の庄屋が「ゐんはさ里ちゃ屋奉加帳」を回し茶屋の設置を呼びかけ,延享4年には伯耆の村まで峠改修の基金を募り改修工事を行っている。峠近くの畝の茶屋(八束村上長田)は大正期から昭和初期にかけ大繁盛し,第2次大戦前まで続いていた。峠交通の画期は昭和3年蒜山の実業家岡田弥宗による川上村上福田と矢送村山口(現関金町山口)を結ぶ陰陽連絡乗合バスの運行で,これが蒜山地方の自動車交通の幕明けであった。峠の本格的改修は昭和28年鳥取県側から始まり,大幅な切崩しの結果,同33年現ルートが完成する。同45年には主要地方道倉吉江府線は国道313号に昇格し,同47年に全線の舗装が完成して蒜山盆地の北の玄関口として整備された。犬挟峠経由の鉄道として計画された南勝線は幻の鉄道と化したが現在,トンネルによる峠通過を盛り込んだ改修計画が進められている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7182238