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臥牛山
【がぎゅうざん】


高梁(たかはし)市の中心市街地を見下ろす位置にある吉備高原上の山。標高478.3m。南から前山・小松山・天神の丸・大松山の4峰からなる。老牛が腹ばいになり草を食んでいる姿に似ていることから名付けられたといわれ,老牛草伏山の別名もある。また,小松山の頂には,現存する山城としては国内で最も高所にある備中松山城(国重文)があり,土地の人々はお城山と呼ぶことが多い。急崖となっている西の高梁川側は川との比高が420mあり,要害の地である。高梁は高梁川と成羽川の合流点に近く,交通の要地であるとともに備中一帯が砂鉄の産地であり,経済的に重要な地点でもあった。戦略上の拠点として仁治元年,有漢(うかん)郷の地頭として着任した秋庭三郎重信が大松山に初めて築城した。その後,全山要塞化するとともに城郭の中心が小松山に移った。現存する二層の天守閣・二重櫓は,天和元年から3年間かけて水谷勝宗が完成させたものである。大松山の城跡はわずかに石塁に名残をとどめているにすぎない。戦国末期,松山城主三村元親と毛利輝元が戦った松山合戦を最大として,松山城を本拠として4度合戦が行われている。現在の松山城の城郭は江戸期になってからのもので,水谷氏が松山藩5万石の大名として着任してから小松山の尾根伝いに改築した。しかし,山上の城は不便なため南麓に居館兼政庁として御根小屋を築城した。その敷地跡は県立高梁高等学校となっており,石垣・土塀・御殿坂・心字池などに面影をしのぶことができる。臥牛山は城の防備上樹木の伐採をほとんど行わず,明治期以後も国有林に編入されたため,一部には二次林もあるが大部分は自然林で保存状態がよい。巨木が多く,樹齢300年を超すものが約150本も確認されている。春の山桜,新緑とモミ・アラカシなどの常緑樹とのコントラスト,秋の紅葉など四季を通じて親しまれている。また県中部を代表する暖帯自然林で,サルが生息しており,昭和29年臥牛山野猿保存会が結成され,翌年から餌付けが始められ,同31年サル生息地は国天然記念物に指定された。高梁市は臥牛山自然動物園として一般に公開してきたが,サルの数が増加し,群れのテリトリーは臥牛山を中心に佐与谷・狐谷にわたる約700haにも及び,農作物などにも被害が出ている。臥牛山には暖温帯性・森林性の昆虫が豊富で,特に蛾類・甲虫類の種類が豊富なことで知られている。高梁市は臥牛山を中心にした備中松山城・石火矢町ふるさと村・武家屋敷など歴史的遺構の整備,中国自然歩道,自然公園など観光資源の充実などを図っている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7182866