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鶴山
【かくざん】


津山市中央部にあって,慶長年間築城の津山城郭の母体をなす丘陵。標高約140m。地質は古生代~中生代の千枚岩質粘板岩や頁岩・砂岩からなる。東側は約50mの比高差をもって切れ込んで宮川が流れ,谷を挟んで東の丹後山と対峙する。西から北西にはかつて武家屋敷の並んだ椿高下の台地が続き,北と南・南西には宮川と吉井川がつくった氾濫原が広がる。山名は鶴が羽根を開いた姿に似ることに由来するともいわれるが,一説には小篠山と呼ばれたともいう(森家先代実録)。嘉吉年間に山名教清の一族山名忠政がこの山に築城し,その後毛利氏,宇喜多氏らに所属が変転した。山頂には孝徳帝治政の天平年間勧請と伝えられる鶴山八幡宮があり,天文年間には,このほかに山中に千代稲荷・日蓮宗妙王院などの社寺があって寺内町的な観を呈したといわれる。また南麓には富川(とがわ)宿が栄え,宮川東の林田(はいだ)宿と並んで「毎月朔望には国中の人民群集をなし,戸川市とて売買をなす」と記されている(森家先代実録)。慶長8年美作国守となった森忠政は,同9年に山名を津山と改称,元和2年には五層四屁の天守を中心とする津山城を築城した。その際,鶴山八幡宮を椿高下北の八子に移遷した。元禄11年森氏改役後は松平氏(越前家流)の居城として幕末に至る。明治維新後,天守をはじめとする建築物は取り壊されたが,明治33年に城郭の主要部は鶴山公園となり,壮大な石垣と千本桜の偉観によって作州一の観光地となっている。「苫田郡誌」によれば,もと津(吉井川の船着き場)の上の山の意味で津山と称したが,中古雅号を用いて鶴山と称したとある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7182870