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黒尾峠
【くろおとうげ】


勝田郡奈義町馬桑と鳥取県智頭町奥本との県境にある峠。標高650m(三角点は707.9m)。国道53号が通る。東部中国山地脊梁部の分水界を越える陰陽連絡の重要な峠道が通る。南は梶並川の支流馬桑川の源流点となり,馬桑川の谷が真南に約10km続き,馬桑・小坂・皆木の集落が点在する。北は傾斜がやや急で,千代川支流の土師川が迫っている。近世には,西南の日本原を横断して,杉ケ乢を越えて上小坂に入り,馬桑川を登る道が津山と鳥取とを結ぶ因幡道と呼ばれた。「東作誌」には,峠の頂上から北麓の栃本までの急坂を「巓より麓まで九折の険阻四十曲ある故,諺に四十曲坂と云う」とあり,当時は地元民の生活道路として,因幡の塩魚や牛が往来する程度であった。寛政年間の岡山・鳥取両池田藩の国替えの時,この峠を越えて新任地へ向かったという。黒尾峠が本格的に利用され始めたのは明治期以後である。明治17年2代目勝北郡長新谷英治郎が,幅員拡張と屈曲改修のための工事を行い,旧道の峠より東に堀割を造り,現在残る旧国道が完成した。明治42年日本原が陸軍演習場に指定されると重要性を帯びることとなり,幾度も改修が行われた。しかし,昭和7年国鉄因美線が,峠より5km北西の物見峠をトンネル越えするに至って時代から取り残され,津山~鳥取間の自動車輸送も同9年にトンネル掘削をした東方12kmの志戸坂峠に主流を奪われた。モータリゼーション隆盛化の中で,同38年この峠道は建設省直轄の1級国道53号となり,同46年までに旧国道の東を抜ける黒尾トンネル(延長843m),小坂~関本間の那岐トンネル(延長610m)が貫通し,峠の南には馬桑ループ橋,北には那岐大橋などを渡して勾配を緩くし,消雪パイプを設備した幅員12mの道路となり,東中国山地最大の陰陽連絡道路となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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