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志戸坂峠
【しどさかとうげ】


志登坂とも書き,「しとざか」ともいう。英田(あいだ)郡西粟倉村坂根と鳥取県智頭町駒帰との県境にある峠。標高581m。東部中国山地の脊梁部を越える陰陽連絡の重要な峠道の1つ。因幡方面から畿内に向かう最短経路の戸倉峠と比べて標高が低いため,古来から官道などのルートとして利用された。元弘年間には後醍醐天皇が隠岐から還幸する際の通路ともなった。江戸期には,鳥取藩やその支藩など因州諸侯の参勤交代路となり,因幡往来と呼ばれて整備された。往来は因幡国智頭から作州古町(大原町)の宿を通り,釜坂を越えて播州路に入る。峠の両側には峠下集落の駒帰と坂根とがあるが,「東作誌」に「坂根村より国界まで九町の間坂道にして嶮なり国界より因州智頭郡駒帰村まで十九町大雪の時牛馬不通」とあるように,作州側が急であり,俗に三十三曲りといい,因幡側は六曲りといわれた。坂根より峠への道はつづれ折りで困難をきわめ,往来の旅人は難渋したという。坂根は休憩宿で,人馬は駒帰には出さず,古町へのみ出す片継ぎであったが,峠越えの要衝であり,明治維新以後も栄えていた。明治18年峠道の難所の掘割工事が工費4,385円を費やして完成し,坂根には大八車や人力車を持つ運送組合や業者がおり,荷駄・旅客の峠越えに活躍した。しかし,大正4年国鉄播但線の開通により継荷が減り,昭和9年には峠直下80mを貫通する志戸坂隧道(全長565m,総工費18万6,000円)が完工して,坂根の繁栄は終わっている。隧道の幅員は5.5mあり,姫路方面からの貨物・旅客輸送の動脈となるとともに,津山・岡山方面からのバス・トラックの多くも,西方12kmの黒尾峠越えの国道53号が改修されるまではこの隧道を通った。昭和50年にはこのルートは国道373号となり,同53年には旧道よりやや南に全長1,630m,幅員9mの新志戸坂トンネルが掘削され,面目を一新した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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