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杉坂峠
【すぎさかとうげ】


英田(あいだ)郡作東町田原と兵庫県上月町皆田との県境にある峠。標高250m。中国山地脊梁部と吉備高原面との間に挟まれて東西に続く東作盆地列の東端に当たり,南3.5kmにある万能乢とともに播州から作州へ入る関門である。「延喜式」などにのる古代官道はこの峠を通過していた。「太平記」によれば,元弘2年隠岐国へ配流される後醍醐天皇の鳳輦がこの峠を越えたという。はるか南方の船坂峠で待ち伏せていた児島高徳は,あわてて道を杉坂にとったが間に合わず,やむなく夜間に院庄の宿舎の庭先にしのび,「天莫空勾践 時非無范蠡」の10字の詩を刻んだと伝えている。この故事にちなんだ「杉坂聖蹟」の碑(昭和2年建立)があり,この地は中世の関所跡ともいわれる。また,作州側の路傍には口漱ぎの泉・鐙岩など後醍醐天皇にちなむ遺跡がある。なお,「地名辞書」には,杉坂の位置に異説があって,この峠より北10km余にある旧因幡往来の釜坂付近とする説が紹介されている。その後の南北朝の争乱期には,東作の軍事的要衝として杉坂が幾度か「太平記」に登場する。延元3年新田義貞の部将江田行義の着陣,正平4年赤松則村と山名時氏勢の対峙,同6年には北朝方高師泰が南朝方の足利直義軍と戦うなどの記事がそれである。出雲松江藩主や津山藩主などの参勤交代路であったが,慶長9年出雲往来が万能乢経由に変更されて以来,杉坂越えは脇道となって急速に衰微していった。その後は県道上福原佐用線となり,昭和7年以降何回かの拡幅工事が行われた。同49年中国縦貫自動車道がこの峠道のルートに建設されると,再び脚光を浴びることとなった。自動車道は峠下をトンネルで抜けるが,そのルートは古代官道の復活ともいえる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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