100辞書・辞典一括検索

JLogos

9

竹荘盆地
【たけのしょうぼんち】


県の中央部,上房郡賀陽町の北半を占める盆地。吉備高原の南東部にあたり,北西部を聖坊山・神子山・大平山,南部を矢倉山などの山々に取り囲まれた東西約6km,南北3~4kmの細長い盆地。盆地底部は南西部の上竹の日名付近は310m位,中心部の新町付近は290m位,東部の下田土付近は230m位で,西高東低の傾きをみせている。西縁部の上竹の正力付近が分水点となって,西は高梁(たかはし)川水系,東は旭川水系である。盆地の中央を旭川の支流宇甘川が東流し,その源流をなしている。地質の基盤は古生代および中生代に貫入したと考えられる花崗岩が大部分で,それに大平山の石英斑岩,神子山の石英閃緑岩,聖坊山の玢岩などである。これらの上に第三紀層の砂岩・礫岩・頁岩が上竹から新町にかけて堆積している。新町・黒土周辺では,エゾカキ・オオノガイなど当時の沿海介類化石が出土する。さらに洪積世の山砂利層が上竹の俵原・大村付近で数mの層をなし,大小円礫を含んでいる。この第三紀末の地殻変動で,孤谷―新町―千森の断層線が生起し,その活断層で盆地は湖水をたたえることになったといわれる。今もこの断層線にあたる上竹の月原や新町付近で硫黄分を含んだアルカリ泉が湧出している。宇甘川両岸に広がる階段状の水田面は湖の消失のあとを示す湖成(水)段丘だといわれる。最後まで沼・湿地として残ったと思われる新町付近では,堆積物のヘドロや亜炭(ピート)が流域や井戸底から出てくる。これら湖成段丘や低湿地を中心に水田化が進み,盆地全体の耕地は1,150haに及ぶ。なかでも米作が盛んで「十万俵の竹荘盆地」といわれる。実際は6~7万俵であろうが,300~500mの高所まで開かれ,大小300余の溜池を水源として,県下有数の穀倉地帯を成し,全国的にも珍しい高位水田農業が行われている。畑作の面でも,昭和初期には養蚕,第2次大戦後は葉タバコ栽培が盛んになり,果樹・野菜などの産地化が図られている。盆地名の竹荘は,現在大字名の1つであるが,古代・中世において,この盆地一円が多気荘(東鑑),竹御荘(清水寺梵鐘銘)などと呼ばれた荘園であったことからと思われる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7184824