100辞書・辞典一括検索

JLogos

8

野崎浜
【のざきはま】


倉敷市児島味野から赤崎に広がる塩田跡地。面積は48.4ha。野崎武左衛門は,文政10年天城の大庄屋中島富次郎に埋立てについて相談し,塩田築造にふみきり約4kmの堤防を築いた。文政12年に味野浜,文政13年に赤崎浜が完成し,48町9反1畝14歩(地租改正当時実測)の塩田となり,味野村と赤崎村の一字をとって野崎浜と名付け,以後野崎武左衛門と名乗った。武左衛門は児島郡味野村の農家に生まれ,昆陽野を名乗り,屋号を多田屋といい,足袋製造に励み資金を蓄積した。さらに児島半島東部の沼・山田村の沖合を天保12年に南浜として築造,胸上・西田井地村の沖合を文久3年に北浜として築造し,東野崎浜(面積93.79ha)と称し野崎浜を元野崎浜と呼んだ。野崎の塩田経営方法の特徴は,資金は自己資金と借入金で野崎家が経営,塩問屋の経営権も掌握,広大な塩田で技術改良を行い,さらに当作歩方という制度を導入し歩合による分配を行うなどであった。文久3年に味野浜と赤崎浜の間の入川の河口の波止場の突端に灯明台が建てられた。昭和49年には市文化財に指定され,解体修理が行われた。児島味野には県史跡に指定されている面積7,896m(^2)の旧野崎邸がある。味野浜の東端に海技大学校児島分校がある。この前身は,明治41年武左衛門の孫武吉郎の寄付により創立された郡立児島商船学校で,国立海員学校などを経て現在に至っている。野崎浜も塩田が昭和44年に廃止され,一部に児島市民病院・児島郵便局などが建てられ,さらに昭和63年3月にJR児島駅が設けられた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7185783