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蒜山
【ひるぜん】


真庭郡八束(やつか)村と鳥取県関金町との県境にあり,西から上蒜山(1,199.7m)・中蒜山(1,122m)・下蒜山(1,100.5m)とほぼ東西に連なる三山の総称。西方の皆ケ山・擬宝珠山(ぎぼしがせん)を含めて蒜山火山群を構成し,北西には大山がそびえ,大山隠岐国立公園に含まれる。蒜山火山群の噴出は大山噴出以前であり,第三紀末(鮮新世末期)か第四紀初頭(洪積世前期)とされ,西から順次噴出した。この噴出および大山火山の活動により,南方の中国脊梁山地との間に東西に長い凹地ができ湖沼化,古蒜山原湖を出現させた。のちに湖盆は旭川水系の浸食により乾固され,現在は蒜山三座や西方の三平山,南方の朝鍋鷲ケ山・稗谷丸山など1,000m級の山々に囲まれた東西約20km,南北約10kmの蒜山盆地をつくる。蒜山三座を構成する岩石はいずれも黒雲母角閃石安山岩で,構造から成層火山と考えられる。山体はいずれも標高600m付近から緩傾斜となり,南麓に標高500m内外の広大な蒜山原が開け,原野は第2次大戦後の開拓により大部分は牧草地・畑地となる。三座の盟主上蒜山は,女性的な山容だがどっしりとしており,南東麓から大きな谷が切り込み山脚部に扇状地をつくる。南斜面は高木林が少なく,頂上付近から西面・北面にかけてブナ原生林が残存する。南麓は百合原を中心に村営牧草地が開かれてジャージー種乳牛が放牧され,上蒜山スキー場など観光施設も点在する。西の皆ケ山との鞍部にある蛇ケ乢(おろがたわ)は,「作陽誌」に大蛇峠と書かれ,伯州に界し赤岩越ともいい,赤岩(関金町)へ越す道が通じていたこと,古くは大湫(大池)があり涸れて小池があることなどが記されている。今は通る人もほとんどなく,大湫は蛇ケ池と呼ばれる湿原となりイワショウブなどが自生し,ここから湯船川が南に流れ出す。湯船には正保4年から木地師の稼業が記録され(筒井八幡宮氏子駈帳),蛇ケ乢南方2kmの地に木地屋敷の地名も残る。中蒜山は三座のなかで一番眺望がよく,頂上付近にはコケモモ・ネバリノギランなどの高山植物もみられ,登山者のための避難小屋もある。南麓にある塩釜は両側を凝灰集塊岩で囲まれた標高520mの地点に湧出する冷泉で,日本百名水にも選ばれ,八束村の簡易水道の水源となるほか,冷水を利用してニジマスなどの養殖がなされる。付近にはロッジ・キャンプ場などもあり中蒜山の登山基地となる。中蒜山の主尾根に通じる標高680m地点にある日留(ひるが)神社は,明治2年造営の石の祠が鎮座し,天照大神をはじめ山・谷など神々八柱を祀り,戦前まではふもとの上長田・下福田両大字が交代で頭屋をつとめ,春秋2期,盛大な祭りをしていた。東端に位置する下蒜山は,かつては稜線近くまで採草や放牧に利用され,南面には高木林が少ない。頂上直下の東側は急斜面で三座の中で一番険しく,西の鞍部ふんぐり乢を経て中蒜山に続く。東麓の犬挟(いぬばさり)峠は,古くから陰陽連絡の峠として知られ,延享4年には既に峠の改修がなされており,現在は国道313号が通過する。また,南麓の花園では古蒜山原湖時代に堆積した珪藻土を露天掘りにより採掘している。雄大な景観に恵まれる当地の観光開発は,昭和32年蒜山原の西端三木ケ原に県立キャンプセンターが設置されたことに始まる。以後,三木ケ原の国民休暇村指定,同38年の大山隠岐国立公園への編入,同45年の蒜山大山有料道路の開通と整備も進む。登山対象としての蒜山の歴史は極めて新しく戦後になってからで,昭和35年の全国高校総合体育大会登山競技,同38年の第17回国民体育大会山岳競技開催などで全国に知られるようになった。現在は百合原・塩釜・犬挟峠からの登山道と三座の稜線を辿る縦走路も整備され登山者も多い。山名のいわれは,ノビルが沢山自生するから,軽石をヒル石というから,蒜山原を代表する植物のヒロレにちなんで,天照大神のオオヒルメノムチにちなんで,地名考から湿原に関係があるからというものまでさまざまな説があり,文字も山陰では蛭山や,ひるぜんの上に太陽が見える時が昼ということで昼仙・昼膳と当てるものもあった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7186227