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万能乢
【まんのたわ】


万ノ峠とも書く。英田(あいだ)郡作東町土居と兵庫県上月町稗田との県境にある峠。標高212m。峠の周辺には洪積世の山砂利層が厚く分布する。土居からの峠道は緩やかな坂道であるが,稗田からは急傾斜である。この地は畿内から津山を経由して出雲へ至る最短路に当たるが,古代の官道は万能乢の北約3.5kmの杉坂峠を通過していた。万能乢が文献に表れるのは近世初頭以後である。慶長9年美作国主森忠政が,幕府の命により官道の整備に着手し,道路に沿って堠樹(こうじゆ)を植え,一里塚を置いた。この時,官道の道筋は杉坂より傾斜の緩やかな万能乢越えに変えられ,幕府はこの道を大道と定めた。寛永12年幕府は出雲・石見をはじめ伯耆・美作の諸大名の参勤交代路に指定し,以後出雲往来と呼ばれるようになる。慶安元年に津山藩は出雲松江藩の出賃手伝いにより往来の大改修を行った。寛文2年には往来の両側に松並木を植えた。万能乢の松並木は大正初年播美鉄道工事により伐採されるまで残っていたという。土居は美作七宿の1つとなり,国境の宿場として「いかなる大名も土居どまり」で殷賑を極めた。当時の峠道は現在よりも約500m南にある幅員1.8m未満の狭い道で,播磨側は特に屈曲が激しかった。明治43年の大改修の際,その昔室生坂といわれたあたりにルートが移されている。明治中期以降,鉄道建設の気運が強まり,地元の有志を中心に播美鉄道が設置された。大正初年には,現勝田町馬形の豊福泰造らは私財を投げうって,万能乢直下に万能トンネル(全長610m,現JR姫新線に使用中)を貫通させている。しかし,この私鉄計画は成就せず,鉄道開通の実現は昭和6年起工,同11年完通の国鉄姫津線(同年津山~新見間の作備線と結び姫新線となる)の登場まで待たねばならなかった。この結果,峠越えの道路交通は衰え,改修もされずに第2次大戦後に至る。現在,このルートは国道179号となり,幅員拡幅や麓の土居の街並を避けるバイパス工事などが完了して面目を一新している。なお,中国縦貫自動車道は北方の杉坂越えで同49年に建設されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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