100辞書・辞典一括検索

JLogos

7

六口島
【むくちじま】


倉敷市下津井に所属し,灯籠崎から西南西1.5kmに位置する島。面積1.17km(^2)。東岸の一番谷から,六番谷まで谷口が6つあるので六口島と名づけられた(岡山の島)。全島花崗岩の露出がみられ,慶長年間から他国の大名に築城用の石取り場を提供した。元和年間大坂城修築の際には石材を切り出している。全島黒松がよく茂り,牛がうずくまった形をしているので,西部を牛が首と呼び,牛が首の西端の岩塊が千貫岩,南部には昭和7年国天然記念物の象岩(高さ約7.5m)がある。象岩は花崗岩が波食を受けて巨象が水辺で遊ぶ姿に仕上がった奇形岩塊で,池田家文書にも宝永元年の六口島象岩之図が残っている。手前の岩上には大正14年,下津井円福寺住職が象にゆかりの普賢菩薩を祀って建立した石造五重の層塔がある。昭和8年,六口島を訪れた与謝野寛・晶子夫妻も「しらしらと岩の大象島に立ち高く光りぬ灘の夕月」(寛),「西の海水島灘の入日見る六口の島のしろき磯浜」(晶子)などと詠んでいる。周囲は釣客,夏は海水浴客も多く,六口を訪れる観光客は年間10万人を数えるという。六口島には近隣の島々同様,縄文土器片の出土や師楽式の製塩遺跡もある。寛永年間には,備前藩により開発され,島を二分して造林と馬牧が行われるが,松島・釜島とともに讃岐塩飽との国境論争で備前藩の帰属が確定したのち,島守として竹内長八を定住させた頃から黒松の植林,馬牧,畑の開墾と進められた。「吉備温故秘録」にも「人家畠等あり。池田出羽領分故に,同人山奉行一人在番す,牧も有」とある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7186935