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和気低地
【わけていち】


和気郡吉永町・和気町に広がる沖積低地。標高50m。吉井川・初瀬川・金剛川・和意谷川・八塔寺川の流域にあたる。東限は金剛川流域の吉永町田倉に達する。田倉には牛神様で有名な野上牛頭天王宮が所在する。田倉から八塔寺川との合流点にかけて河谷が広がる。この区間は河道の直線化と,堤防の嵩上げ工事が行われ,高さ2mの可動堰が設けられている。河道跡は総合グラウンド・住宅・工場となっている。谷の最も開けた所にJR山陽本線吉永駅があり,駅周辺にはろう石を原料とするクレー工場があり,乾燥風景が見られる。金剛川下流の右岸に谷底平野が開け,和気町の藤野・泉・大田原などの集落が分布する。藤野は養老5年和気郡が邑久(おく)・赤坂郡より分置された頃からの郷で,田ケ原の大政は郡衙の所在地であり,宿には当時藤野駅家があったと伝える。付近には「源平盛衰記」「平家物語」にある和気氏の氏寺藤野寺の比定地がある。泉には安養寺があり,寺伝によれば,天平勝宝年間に報恩大師によって創建された備前四十八か寺の1つと伝える。康保年間雷火で焼失。信源上人により再建され50坊の大伽藍となったが,永正年間に兵火で焼失した。竜王山麓には由加神社があり,新田郷総鎮守であった。左岸の日室付近を中心に,条里地割が実施され坪地名が残る。下馬は由加神社・安養寺の参拝者に対する下乗下馬札に由来する地名とされる。右岸の大田原は尺所の枝村であったが,「備陽国誌」に「杉原を製す」と記されているように和紙製造で知られ,明治30年頃まで障子紙・傘紙をつくっていた。尺所を中心とする左岸一帯や初瀬川流域は,中世新田荘の本荘に属した。嘉吉の変で衰退した赤松氏は,長禄2年新田荘を領し,ここを拠点に勢力拡大をはかった。片上鉄道沿線の塔田の土塚は和気寺跡で,「天王功田廿町受封正三位輔治能主塔 延暦十八己卯二月八日六十七歳」とある石塔が発掘された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7187351