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粟石峠
【あわいしとうげ】


庄原市峰田町と甲奴(こうぬ)郡総領町稲草の境にある峠。通称粟石山内に位置する。標高400m。中世には信敷荘(峰田側)と田総荘(稲草側)の境として,荘園牓示としての棒木の地名が残る。近世には出雲路が通り,峰村(現峰田町)に赤川町,稲草村(現総領町大字)に下市が栄え,約1里間の峠路は,稲草側には西側の急坂と東側森藤(もりとう)谷沿いの近道があり,道わきには隠れ岩の名があり,追剥の隠れ場所であったという大岩がある。峠には,両路の分岐点に塞神が祀られ,粟石山にはかつて三上郡春田(しゆんだ)・峰各村の採草地であった。藩政期には三上郡内の三原浅野家給地と三原城下の連絡や,出雲特産の木綿や尾道からの海産物・塩の交易に利用された。出雲木綿の大坂出荷には出雲路も使われ,雲州三成(みなり)(現島根県仁多町)~備後福山間は通常8日を要していた。急便は三成~上阿井(現仁多町)間と,庄原~稲草間(粟石峠)に増員され,6日に短縮された。文政期には,庄原宿の梶原勇兵衛,稲草宿の高田屋仙蔵と指定の木棉荷物宿の宿主の名がみえる。明治24年,荷物通行の必要から,半年間の改修工事が行われ,工事費の3分の1を峰田・稲草両村が,残額を周辺町村が負担した。現在は国道432号が出雲路を踏襲し開設され,昭和47年には峠下に粟石トンネルが開通し,バス路線によって結ばれている。中国自動車道の開通以来,北方庄原インターチェンジの利用客によって交通量は増加の傾向を示している。南の甲奴郡内へは,甲奴町および上下町へと2本,双三郡三良坂町へ1本の計3本のバス路線が開設されており,地方連絡道の性格を強く打ち出している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7187531