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因島
【いんのしま】


芸予諸島の1島で,布刈瀬戸を挟んで御調(みつぎ)郡向島町の南側に位置する。全島因島市に属す。面積34.5km(^2)は,県内で倉橋島,能美島,大崎上島に次いで第4位。海岸線の延長は約35km,人口3万9,319(昭和50年)。南北約10km,東西約5kmで,北北西から南南東に延びる長四角形の島域。2本の構造線が島を北・中・南の3部に分けている。中庄(なかのしよう)―生口(いくち)島北部―大三島中部の線と,三庄(みつのしよう)―土生(はぶ)―生口島南部の線である。島の周囲には県管理の地方港湾で甲種の土生港,同じく乙種の重井港,中浜港,市管理の地方港湾の椋浦(むくのうら)港,市管理で第1種漁港の鏡浦漁港,同じく西浦漁港があり,家船で有名な箱崎は土生港域に含まれる。属島は島の北にある。中浜港を備後灘から守る形の八重子島は2個の岩小島で,低潮時には陸繋の様相を示す。架橋工事が進む大浜崎の北西には四十島,西寄りの重井の北に小細(こぼそ)島・細島がある。漁場や船の座礁しやすい細ノ洲はその北西に位置し,雀島は北にある。島の北東は古代航路以来の布刈瀬戸が三原沖へ通じ,北はその分かれが細島(山伏修行の地という)との間に山伏瀬戸をつくり,西は佐木島・生口島などの間に西水道とその南に長崎瀬戸,そして布刈瀬戸から南西への弓削瀬戸がある。基本的には磯は地付,沖は入会という漁業形態において,藩境付近の当地域は松山・今治・広島の諸藩が相互に入り組み,複雑な漁業区域をもちながら,古い習慣に従って経営を維持してきた。島の北と西は中生代白亜紀の花崗岩であるが,東は花崗岩の上に粘板岩と砂岩の古生層がルーフ状の形でのっている。鏡浦町の北の梶ノ鼻では粘板岩を貫く流紋岩の大岩脈や海食台,粘板岩と砂岩の互層などがみられ,港の南東では黒褐色の古生層に白い黒雲母花崗岩が貫入している(楠見久・鷹村権:広島県地質のガイド)。土生の年平均気温は15℃,年降水量1,022mmで温暖少雨であり,松と槙の疎林をなす。中世には塩の荘園とされるほどで塩木の乱伐が行われる一方,海運業の発達をみたと思われる。瀬戸内海の海賊として名高い因島村上氏の本拠地でもあった。明治期に入り,本土連絡や塩・貢米などでの海運業や農船を背景に造船業が発達し,土生では明治45年に従来の地元工場に大阪資本が入り,拡大方向での消長があった。その中から中小造船所が生まれ,昭和40年には重井町細口の北寄りの畑地を改良して造船へも対応する鉄工団地が操業を開始した。島と地方との連絡は旅客・貨物ともに主流であった尾道から,新幹線の開通や自動車時代を迎えて旅客と車が三原内港や木原町(三原市)に移ったものの,客船と貨物は依然尾道につながっている。島内一周や,中庄町での東西連絡路の整備とともに北の重井町が玄関口として発達し,南の市役所のある土生町は生口島,愛媛県生名・岩城・弓削などの各島との連絡の拠点となり,今治からの島まわり航路の終点でもある。島の土地利用は水田4%,畑35%,山林46%,原野4%,宅地8%などで,農業は柑橘,野菜栽培が中心。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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