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服部大池
【はっとりおおいけ】


福山市駅家町法成寺(えきやちようほうじようじ)にある池。芦田川水系服部川に設けられた農業用溜池。堤高18.5m,集水面積22km(^2),水面標高約40m,有効貯水量97万8,000m(^3),灌漑面積245ha。春日池・瀬戸池と並び古くから備後三大池といわれ,福山藩の藩営事業として築造された。駅家町地区には溜池が350余もあり,水田総面積の半分以上が池掛りといわれる。その中でも服部大池は最大のものである。工事は福山藩主水野勝成入封後二十数年を経た寛永20年10月に着工され,総奉行神谷治部の麾下,広田彦右衛門,長田源太左衛門の両普請奉行の指揮の下に,2年後の正保2年10月に完成。完成当時の池敷は,法成寺村分,新山村分,永谷村分を合わせて約36町歩であったが,築造44年後の元禄12年の検地による池敷の広さは,約26町歩と減少し,服部川の土砂による埋没がうかがわれる。「備後叢書」によれば,「水下之村々中島村近田村江田村倉光村万能倉村上岩成村下岩成村十九間村十三軒屋村道上村八軒屋村下加茂村東法成寺村西法成寺村〆十四ケ村,畝高三百五拾丁一反一畝二十七歩へ七十五日水懸り日焼と申儀無之候処,元禄之末寛永之比段々日数相減二十五日水かかり申候。近年に及び候而者道上辺迄は水行届不申候付,宝暦五年之春道上村にて幅平均二十八間長平均九十五間之新池を掘申候」とある。しかし,土砂混入埋没による水不足はその後も続いたらしく,天保12年の服部大池掛り7か村よりの大池水貯蔵についての嘆願書には,「当村々用水服部大池掛りニ御座候処,年々埋り強ク追々用水不自由ニ相成少シ之照ニ歳旱損出来仕居候処,別而去夏大水之節池内ニ埋リ込候土夥敷事ニ而池潰レ姿ニ相成一同大ニ歎ケ敷奉存候」とある。池名については,池敷が法城寺にあるところより,法城寺の名を冠することも考えられたというが,築造指揮者神谷治部が池名命名の折,法城の字が「水去成土」と分解されふさわしくないとのことで,服部川から服部大池と命名したと伝えられる。明治期に深品両池耕地整理組合が,深安郡法城寺村に設立され,服部大池と大谷池の管理を行っていたが,昭和21年に解散し,新たに服部大池水利組合が設立された。池のほとりには,築堤後神谷治部の創建と伝えられる水神の小祠があり,現在も池の守護神として祀られている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7190421