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比治山
【ひじやま】


古くは秘地山・肱山とも書き,臥虎山ともいわれた。広島市の中心に近く,南区の京橋川東岸にある丘。標高70m。南北1.1km,東西0.5kmの花崗岩丘陵。市中の眺望にすぐれ,「知新集」の安養院の項に「南に厳島其他の島々を眺め,北に御城を初め広島の町々を見渡し眺望いとよき処なれば四時に遊客たえず」とある。比治山には慶長9年福島氏が市内の三滝より転じた吉祥山遍照寺多聞院や頼家の墓(県史跡),植田艮背の墓(県史跡),明治5年には西南の役,日清・北清・日露戦争の戦病没者4,000柱を祀る陸軍墓地,北清戦争で死没したフランス軍人7名の墓などが置かれた。明治27年10月に第7回臨時帝国議会が広島市で開かれた時,明治天皇の休息所となった御便殿や,大正天皇御即位御大典記念館なども置かれた。全山29haの国有地は明治31年に借り受けて公園化され,特に昭和3年以後,御便殿参拝道路,公園道路,児童公園の整備やサクラ・モミジ・ツゲなど十数万本が植樹され,昭和9年には頼山陽百年祭の記念事業として頼山陽文徳殿が竣工され,市民の行楽地としていっそうにぎわうようになった。昭和20年には原爆により比治山の施設も被害を受けたが修復されたものもあり,新たに昭和22年にABCCが置かれ,現在は財団法人放射能影響研究所に改組された。現在,公園にはテレビ塔や市内展望台や石碑・立像も多く,市中の公園として多くの市民が集まる。頼山陽文徳殿の境内にあるクロマツは樹高3m,胸高幹囲2.85m,枝張り15mの猿猴造りの仕立は昭和28年県天然記念物に指定された。南麓の標高10mの地点にある比治山貝塚(県史跡)は縄文後期から晩期末のハマグリ・カキをはじめ石器類を出土した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7190575