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大水無瀬島
【おおみなせじま】


大島郡東和町沖家室島に属し,東和町沖家室島の南東海上約4.7kmの伊予灘に浮かぶ島。面積0.6km(^2)。南約2.5kmに小水無瀬島(0.2km(^2))があり,ともに無人島。地質はともに第三紀の両輝石安山岩からなる小火山丘だが,当島の北東部の細く延びた州首崎の小半島部は基盤の領家変成帯の泥質片状ホルンフェルスからなる。周囲はほとんど海食崖の急斜面をなし,当島の東岸にわずかに礫浜海岸が見られる。最高点は232m。「地下上申」では,沖家室に属し,御蔵入として山役石3石3斗余・畠方7石8斗余とあり,「人家無シ呑水並畠有之」としている。「注進案」でも,「人家無御座,畠数五町五反弐畝拾壱歩高八石五斗四升六合有之,沖家室惣高之内ニ籠,其余山野ニテ御座候事」としている。慶安3年,当島の薪木伐採権をめぐって,村上氏給領地の小泊村(東和町)と沖家室との間で争論が起こり,明治期まで続いた。明治期以降は沖家室が立木筏採,小泊が柴草刈の入会地となった(東和町誌)。東岸の小礫浜海岸では縄文時代晩期の土器片が出土していることから,先史時代に一時的居住があったことがみとめられるが,おそらく歴史時代を通じて無人島で,江戸期に入植して5町5反歩の畠地が拓かれているが,これは大水無瀬島が沖家室村の困窮者の経済的立直しをはかるための困窮島であったもので,居住者のない時に出耕作が行われたものであろう。戦前にはわずかに耕作者があり,戦時中強制的に引き上げさせられ,戦後復帰したといわれ,昭和35年には2名の居住者がいたが,同37年以降無人島となる。周辺の海域は一本釣りの好漁場として知られ,また県天然記念物のアコウ自生地帯があり,アコウの木の北限といわれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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