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景清穴
【かげきよあな】


景清洞・長生洞(ながいきどう)・赤の穴ともいう。美祢(みね)郡美東(みとう)町赤の佐山ポリエ北端,猪出台(ししいでだい)西麓に開口する横穴型の石灰洞。洞口の標高183m,幅10m,高さ5m,長さ約1,500m。三角田(みすまだ)ポリエ南縁の三角田洞に続く典型的な貫通洞。三角田洞の洞口の標高は210m。三角田ポリエの水が洞内を流れ,三角田川を経て佐山ポリエ西南端の盲谷にある犬ケ森の穴ポノールへ至る。渇水期には雨乞として佐山の方から洞をくぐり抜ける風習があり,三角田の方に祭壇があったといわれる。そのほかの洞内は平時砂礫中に伏流し,洞口付近や三角田川は涸れ川になっている。洞内に砂礫が多く堆積しているのは,三角田ポリエが石灰岩地域の縁辺部に位置する境界ポリエであり,周辺の土砂が流入したことによる。景清穴の天井は低く平坦な部分が多い。天井すれすれの水面の時代が最近まで続き,天井の古い時代の空洞に鍾乳石が分布する以外は,さんご天井・かすり天井などと命名されたボックスワークが節理に沿って多くの箱を逆さ吊りした形で発達している。洞内水流は洞壁を溶食し波状模様のスカラップを刻み洞幅を拡大した。竜の寝床・竜の抜殻などと呼ばれる数段のノッチも発達し,溶食形態がよく観察できる。大正11年3月,滝穴(秋芳洞)とともに鍾乳洞としてわが国最初の国天然記念物に指定された。景清穴の名称は,壇ノ浦の戦いで敗れた平家の侍大将悪七兵衛景清が隠れ住んだのにちなむと伝えられる。一説には平家の武将大庭景宗らがこの地に逃れ住み,その子の景清がこの穴で武芸の稽古をしたことによるともいう(県文化財概要)。昭和45年奥秋吉台に秋吉台有料道路が開通して以来,長者ケ森・帰り水・大正洞などとともに脚光を浴び始めた。昭和59年度の入洞者約3万人。




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「角川日本地名大辞典」
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