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下松平野
【くだまつへいや】


末武平野ともいう。周防(すおう)灘沿岸部に位置し,平野西縁の末武川,東端の切戸川と両川の間を流れる平田川によって形成された複合扇状地性三角州。大島半島と笠戸島に囲まれた笠戸湾に面し,面積は約13km(^2)。末武川は周防山地南部の八代盆地を水源とし,谷口が下松平野を形成する扇状地の扇頂にあたる。扇頂部の標高は下松市末武上の梁付近で約37m,扇端は標高5m前後の市道中央線付近。JR山陽本線下松駅南口の商店街から西へ延びる旧道沿いの集落は浜堤上に立地し,それより北側の扇端部に続く三角州や潟湖の干拓地のほか,南側の塩田を対象に市街地が広がっている。潟湖の名残である大海(おおのみ)町以西は香力蓮根で知られる。平野南東部には恋ケ浜から桂木山(通称宮ノ洲山)を結ぶ陸繋砂州が発達し,さらに西南へ延びた宮ノ洲鼻には笠戸島との間に笠戸大橋が架かる。下松の近代化は,大正6年陸繋砂州に続く干拓地の塩田に日本汽船笠戸造船所(現日立製作所)が誘致されたことに始まる。昭和期には日本石油(現日本石油精製)下松製油所・東洋鋼板が切戸川河口以東に立地した。第2次大戦後は切戸川や平田川河口の公共埠頭以西の国道188号沿いの干拓地に中国電力下松発電所・下松パブリックゴルフ場・クルマエビ養殖場などが建設された。昭和30年以降に天王台・平和台・旗岡団地など,切戸川流域の丘陵で宅地化が進むと,市街地は次第に山陽本線北側に移動した。平田川上流は,浸食力旺盛な切戸川に山田川を奪われ,扇状地北部に続く広い谷底平野と周辺丘陵(瀬戸内面)はJR岩徳線や国道2号で徳山市に直結し,最近の宅地化はめざましい。この地域は岩国・徳山低地列の西端にあたり,古代の駅家生屋(いくのや)として栄え,江戸期には花岡に勘場が置かれていた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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