100辞書・辞典一括検索

JLogos

25

瀬戸内
【せとうち】


瀬戸内海とその沿岸とを合わせた広域名称。明治期までは瀬戸内海だけの呼称として使用された。一般に山陽地方と北四国地方の岡山・広島・山口・香川・愛媛の5県に及ぶ瀬戸内海沿岸地区を指す。広義には,このほか大阪・兵庫・大分・福岡の1府3県が加わる地域を指し,瀬戸内式気候などのくくり方はこの例にあたる。瀬戸内海を間に挟む山陽地方と北四国地方は,自然・人文両面で共通した地域的性格をもつことが多く,いわゆる瀬戸内の地域文化を生み出した。瀬戸内文化の特質は,第一に瀬戸内の自然地理的環境と,地域住民が生み出した風土文化,第二に東(近畿)と西(北九州)の両隣から伝播してきた強力な波及文化が混合し,変容して生じた漸移文化,第三に新旧文化の重層性として集約されるという説がある(中国と四国)。県内の瀬戸内は,日本海側の広域名称の北浦に対する呼称で,宇部・山口・徳山・防府・岩国各市など11市13町よりなる沿岸地域。沿岸から内陸にかけて旧石器遺跡をはじめ縄文・弥生時代の遺跡が多数分布し,古代には山陽道・内海航路による文化の伝播,中世の港町を中心とした沿岸地方の文化や産業が著しく発達した。近世以降,沿岸の内湾や三角州の遠浅で干拓が行われ,開作地が各地に成立して耕地面積の拡大をみた。一方,内海の水運と大坂市場に直結する地の利によって,菜種・藍・サトウキビ・棉花などの商品作物が多種栽培され,特に県内では周防国の開作を中心に棉作が普及した。古来,魚の宝庫とされた瀬戸内海に面した沿岸には,早くから漁村集落が立地していたが,近世には御立浦や端浦が多数成立し,漁業権の確立がみられた。地形的・気候的な好条件を基礎に,製塩も早くから行われていたが,本格化したのは近世に入ってからで,三田尻・西ノ浦・宇部才川・福川などの塩田が発達した。昭和30年代以後,塩田は消滅し,跡地は工場・学校などの利用が進められている。石油・化学コンビナートを中心とした工場が岩国・光・下松(くだまつ)・徳山・新南陽・宇部・小野田の各市に進出し,瀬戸内工業地域の重要な一角を占める。このような工業の集積は,他方では周辺地区での大気汚染などの公害や,昭和42年以降の沿岸海域の赤潮発生・水質汚濁などを生み出し,同43年県公害防止条例が施行された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7193358