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土井ケ浜
【どいがはま】


豊浦郡豊北(ほうほく)町の北西部,響灘に臨む砂浜海岸。現地では浜屋ともいう。洪積世の海岸段丘形成後,縄文海進によって生じたリアス式海岸の中でも,内湾に砂浜海岸を形成した例の1つ。横列砂丘を伴った白砂青松の海岸線は全長約1.2kmで,夏には海水浴場としてにぎわう。海岸に並行した砂堆の背後には岡林集落が立地する海岸段丘面(標高20~40m)が分布し,かなり開析が進んでいる。この段丘帯の南側は広い河谷平野が発達し,その中央部には海岸線と直角方向に,旧堤嘴上に砂丘が載る全長約600mの砂堆が半島状に分布する。海岸線から約300m地点に土井ケ浜遺跡がある。また,弘安4年元軍の300隻が長門沿岸の各地に侵攻し,土井ケ浜にも上陸したといわれ,「注進案」には,「弘安年間筑前の沖へ蒙古の兵船数万艘寄来り……余賊共此浜へ漂来り,鎌倉より討手被差向一時被討亡候」とある。海岸の東端の丘には,周囲1.8m位の松の枯木が2本横たわり,鬼の松と呼ばれ,元軍兵の死体を埋めた印として植えられたという。一方,北に位置する小高い鎌倉森は,元軍と戦って討死した鎌倉の武士を葬ってあるという。また「注進案」では,江戸期の海の模様を「北は壁島より南は江尻平ばい迄拾八丁程,深き所拾三尋,浅き所七尋程,満潮ハ北へ行,干潮ハ南へ行,和久浦にて干潟拾間位」と記している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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