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道前
【どうぜん】


旧国名:周防

(中世)戦国期に見える広域地名。「地名淵鑑」には,「周防国にては玖珂熊毛の地は道前なり。都濃佐波吉敷は道後なり。されど道後の名蚤く亡びて所見なし。神代氏系譜に遠祖兼継初て周防国に下向し,道前領主となる云々と見ゆるは,其本処岩国地方を指せるなり。兼継五世の孫,次郎兼秀岩国を家号とす」とある。弘治元年(推定)10月2日付の毛利隆元書状(閥閲録22‐1)によれば,隆元は村上武吉に玖珂(くが)・熊毛両郡内道前のうち200石の地を与えている。同3年(推定)卯月11日付の井原中務少輔等宛毛利隆元書状,同年8月28日付の杉松千代丸知行注文に「道前表」が見える(同前40・79)。弘治4年6月2日付の右田隆俊不知行注文(寺社証文22)によると隆俊の本地である「道前椙社」50石の地が押領されている。次いで永禄11年7月26日付の毛利元就・輝元連署状(閥閲録83)で,木原元定に「道前郡松原給之内弐拾石余地」を与えている。また永禄11年10月14日付の内藤隆春書状(同前170)で,隆春は勝間田盛道に道前笠野村の内20石の地を与えている。永禄12年8月10日付の毛利元就・輝元連署状(同前101)では,小方隆忠が「道前事能要害」に在番した功を賞し,同じく10月晦日付の毛利輝元感状では,山口動乱における道前衆の働きを賞している(同前147)。天正3年7月21日の周防国国衙正税請取状案,同7年2月27日の同国衙正税浮米請取状土代に「道前」が見える(東大寺文書目録1)。天正19年3月13日の豊臣秀吉検地知行目録写に見える吉川広家領地付立の中に「防州之内 五百貫 道前」とある(吉川家文書1/大日古)。以上より,周防国道前とある地名は,熊毛郡から玖珂(くが)郡南部に通ずる往還道沿いの地域の総称であると推定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7193712