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徳佐盆地
【とくさぼんち】


県中央北部に位置し,日本海に注ぐ阿武(あぶ)川の中流に発達した湖盆起源の埋積盆地。津和野―岐波構造線に沿い,北東から南西へ細長く発達した谷底平野は,篠生地区三谷から上流ほど広くなる。県境の野坂山(640.2m)や三原山(636m)などが噴出する以前は,島根県へ流れる古津和野川の上流域にあたり,これらの火山によって堰止められて出現した古徳佐湖が,当盆地の成立起源と考えられている。盆地内には3段の段丘がある。高位段丘には,徳佐中の羽波・台,徳佐下の秋鹿・鍋倉,地福上の宮ノ原,地福下の八幡原,生雲東の三谷に分布し,標高300~320mで一様な高度を示しているところから,古徳佐湖による湖岸段丘であり,これに続く三角州や三角州状扇状地面であろう。地福上の用路~山田,地福下の名草・向原では標高340mに及び,徳佐中の原山扇状地では標高328m以下の各所に湧水帯が散在するので,この付近を古徳佐湖面と推定できる。湖岸段丘は生雲東の渡川より下流域では見られないことから,古徳佐湖の範囲を狭義の徳佐盆地とするなら,渡川から上流部となり,これから南西側は広義の徳佐盆地に含まれる。中位段丘は,地福上の店屋・岡,地福下の鳶子・荒瀬・鷹巣・向原・田代,生雲東の渡川,篠目の御堂原と続き,河床より10~20mの高度差で分布する河川段丘である。地福付近の標高は260m,鍋倉付近で280mとなり,リンゴ園が広がる。この段丘堆積物が岡砂礫層。低位面は現在形成中の段丘で,比高3~8m。徳佐地区では阿武川の支流の沖田川の谷頭浸食が,徳佐中の貞行まで延びており,県営の圃場整備で湿田の消えた徳佐層上に谷を刻んでいる。この面を構成する地層を貞行砂層という。津和野の谷底と徳佐地区の高度差は約100m。第四紀全体を通しての西中国山地の隆起量は500~750mと推定されており,徳佐盆地も北東部ほど隆起量が多い。篠目川は隆起に抗して長門峡(ちようもんきよう)を刻んだ先行性河川で,その浸食を助長したのが,山口線の渡川トンネル西側にあたる峡谷からの古徳佐湖水の流出である。推定古徳佐湖面が,渡川~千頭間のケルンコル(標高260m)より高いのは,その後の隆起と千頭での浸食による。朴川の上流部には広い谷底平野が佐波(さば)郡徳地町との境界付近にあり,瀬戸内海へ注ぐ佐波川に向かう谷と谷中分水嶺を形成する。佐波川上流の徳地町柚木地区の大土路付近には,分水嶺とほぼ同じ標高で数か所の段丘が並び,朴川の上流が佐波川に奪われたことを物語る。徳地町北部一帯をも集水域としていた古徳佐湖の排水が,長門峡の断崖絶壁や名所を形成したともいえる。徳佐盆地の気候については,下関地方気象台のアメダス観測による昭和54年以降の累年平均値では,年平均気温12.3℃,年降水量2,108mm,県農業試験場徳佐寒冷地分場による最高積雪185cm(昭和38年),最寒記録-19.6℃(昭和52年)と,県下でも寒冷多雨地域である。阿東町の85.4%は山林が占めるが,農業生産は水稲を中心に畜産・果樹・野菜の複合経営が多く取り入れられ,鍋倉の観光リンゴ園,地福や長門峡の観光ナシ園,松本川(阿武川)の上流部に位置する嘉年地区のワサビ栽培などが有名。徳佐上の御所河内から秋鹿まで段丘や扇状地533haの灌漑を目的とした野道用水は,野道ダムからトンネルやサイホンで供給される。扇状地は徳佐中の宇津根や地福上の店屋,地福下の荒瀬など,盆地周辺に多くみられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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