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西市盆地
【にしいちぼんち】


豊田盆地ともいう。県西部内陸に位置し,中国山地西端の長門(ながと)丘陵を木屋(こや)川が開析して形成した盆地。河口から約18kmの支流日野川との合流点付近で標高31mを示す平坦な谷底平野は埋積が著しく,河道は曲流する。幅1.3km,面積約6km(^2)の盆地には,約30町歩の条里制遺構が分布する。盆地周辺の丘陵の背後には谷床標高約100mの高位丘陵が50m前後の小起伏で広がる。西側では日本海へ注ぐ粟野川上流の浮石丘陵内での無従性の八道埋積谷,東側では日野川上流での一ノ瀬と三ノ瀬の遷急点により麻生丘陵に浸食の及ばない麻生低地が連なる。これらの低地を江戸期には山口街道が通り,盆地内で赤間関街道の北道筋と交差した。木屋川の支流山本川や安白川が流れる盆地床の穀倉地帯を中村といい,東八幡宮参道や主要街道に近く,条里制遺構北部の氾濫原で市が開かれるようになり,市恵美須も祀られた。しかし,この地は雨期には水害を被り,室町初期には北西寄りの微高地でも市が発生し,東ノ市・西ノ市と区別された。その後,朝倉弘詮が文明年間に居を構えると,普済寺川(現山田川)と木屋川の合流点付近の柳ケ原に市が立ち始め,今市と呼んだ。古市とも呼ばれた西ノ市も水害の影響で寛永3年には市恵美須ともども今市へ移転して,今市は西市と改称。東ノ市も江戸期の元禄年間から正徳年間頃に解散し,長府藩領の西市と洪積台地上の萩藩領高熊に分かれて消滅した。その後,西市が熊野権現社の鳥居前町になると,毎月市が6度催された。大正7年開通の長門鉄道による山陽本線小月駅への連絡は,西市を豊浦郡北部の中枢地とし,バス路線網が充実した。市街地は山田川の小さな扇状地上に発達。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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