100辞書・辞典一括検索

JLogos

17

屋代島?
【やしろじま】


大島郡に属し,県南東部に位置する島。面積129.66km(^2)。大島・周防大島ともいい,周防大島諸島の主島。北側は安芸灘,南側は伊予灘に囲まれ,西側は柳井湾を隔てて熊毛半島に相対する。北西側は玖珂(くが)郡大畠町との間の大畠瀬戸で,昭和51年大島大橋が架橋された。大部分の地質は領家花崗岩類からなり,一部高所に安山岩が載り,起伏のある地形をつくる。西部に文珠山(662.7m)・嘉納山(684.9m)・嵩山(618.5m)などがあって最高部をなす。島は北西方向とこれに交差する方向の断層系に支配された地塊性の小開析山地の連続で,これが沈水して平地の乏しい屈曲の多い海岸線となり,周辺には笠佐島・前島・浮島・沖家室島・情島・大水無瀬島などの小島嶼が分布する。「古事記」に大島,「日本書紀」に大洲と見える。「和名抄」に見える屋代郷は,嘉納山を源流とする屋代川が北西に向かって流下し,比較的まとまった谷底平野と三角州平野をつくっている所で,古く開発され,島名もこれに由来するものと考えられる。屋代・三蒲・久賀・安下庄の沿岸小平地には小規模ながら条里制遺構が残る。江戸期には毛利氏萩藩の大島宰判に属し,北岸の久賀に勘場(代官所)が置かれ,行政・商業の中心をなした。天保年間には,山腹傾斜地の開発が進んで階段耕地が発達し,温州ミカンの栽培が始まり,小松開作や久賀・安下庄などでは製塩業が行われ,明治期以降は海外移民を多く送り出した。現在では農地の80%を果樹園が占め,山口県産温州ミカンの70%(年産約5万t)は屋代島の産出である。漁業も早くから盛んで,江戸期には北岸では久賀浦,南岸では安下浦が浦方として漁業の中心であったが,現在では沿岸には半農半漁村や漁村も多い。嘉納山・嵩山一帯や白木山一帯などが瀬戸内海国立公園の一部に含まれており,すぐれた多島海景観を展開している。初冬のミカン狩りや夏の海水浴場・磯釣りなど観光資源も豊かである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7194770