100辞書・辞典一括検索

JLogos

17

与次兵衛ケ瀬
【よじべえがせ】


関門海峡の彦島(下関市)と門司大里(福岡県)の間の大瀬戸にあった暗礁。干潮時に顕われ航海者から「魔の瀬」といわれ恐れられた。文禄元年豊臣秀吉が名護屋(佐賀県)から帰京する際,明石与次兵衛が操縦する秀吉の御座船がこの瀬で座礁。毛利秀元が自分の船頭を使って救出したが,与次兵衛は尋問された時,毛利輝元は高麗で秀吉に謀反を企てているため,山陽の海岸に近づいては危険なので難所と知りながら航行したと偽証した。秀吉は立腹し彼を打ち首にしたという(秀元記)。しかし与次兵衛については,小田原北条家の家臣松田尾張守の五男で,家族の汚名をはらすため秀吉を故意に座礁させたとか,海賊流の軍法家であったなどの伝説がある。明治43年から開始された海峡改良工事によって瀬は破削された。現在,福岡県北九州市門司区の関門海峡を展望できる和布刈(めかり)公園に与次兵衛の碑が建っている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7194909