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北方
【きたがた】


県を大きく二分した慣用的な地域表現で,県北・県西部の吉野川流域を指す。現在の徳島市・鳴門市・板野郡・名西(みようざい)郡・名東(みようどう)郡・麻植(おえ)郡・阿波郡・美馬郡・三好郡の地域。「国造本紀」にはいまの徳島県に「粟国」と「長国」があったと記録されているが,そのうちの粟国に比定される。県の南東部,長国に比定される南方に対する。原始古代の遺跡も多く,阿波忌部氏の居住地帯で,麻の栽培が行われたという。また古墳もその初期から後期まで多くみられ,大小豪族による開発が早くから行われていた。また中世には守護所として鳥坂城や池田大西城,秋月城,勝瑞城が置かれ,政治経済的にも阿波国の中心地帯をなし,近世においても蜂須賀氏は徳島城を渭津におき,阿波九城をおいたが6城は北方吉野川筋に置いており,政治経済的に重要地帯であったといえよう。藩政期の作物としては藍作を主としており,その労働歌に「阿波の北方,起き上りこぼし,寝たとおもたら,はや起きた」があり,重労働とそこからくる経済的利益は藩政を潤した。また,北方山間部では煙草作が行われた。「阿州北方農業全書」もまた藍作を中心に書かれている。明治期,藍作の衰退とともに扇状地や川中島を中心として桑園がつくられ養蚕が盛んとなる。その後は麻名用水・板名用水・阿波用水の開削により水稲栽培に転換し,麦との二毛作となる。昭和61年6月に幹線水路が全線通水し,板野郡板野町まで通水し,農業用水の不便は解消した。養蚕のほかに,また山間部の煙草作と,洪積台地や扇状地,丘陵部では八朔栽培が特産となっており,阿波郡より以東の吉野川中流・下流では施設園芸が非常に盛んとなっている。また,吉野川河口のデルタは各種の工業地帯となっている。気候的には瀬戸内海型に近い。幕末から維新にかけては勤皇の志士を生み,さらに明治15年には自由党阿波支部を美馬郡脇町に誕生させるといった政治意識の強い地帯であった。観光資源としては美馬郡・三好郡に広がる剣山国定公園があり,四国第二峰剣山と祖谷渓,大歩危小歩危,阿波郡阿波町の土柱などが有名である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7195807