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高越山
【こうつざん】


吉野川平野のほぼ中間に位置し,麻植(おえ)郡山川町の南西にそびえる山。標高1,122.0m。吉野川流域から端正な三角形の山容がよく見える。県内の山岳中において,特に高い山ではないが,平野部からそそり立つため見事な山容を呈する。県下で最古の歴史を持つ修験道の山。山名も衣笠山・木綿麻山・蓋山・摩尼珠山・西山上など多くの別称を持つが,阿波富士が最もよく知られた美称である。「おこうっつあん」の通称で呼ばれるが,「こうっさん」とも「こうっざん」ともいう。「阿波志」には,「川田西村にあり,一名衣笠山,また摩尼珠山と称す。奇峻うつ茂し,群山覆圧す。上にイザナギ・蔵王二祠あり,その下を高越寺となす……その頂は阿波・美馬・三好三郡を見下し,遥かに予讃諸山を見る。旧六稜堂あり今廃す。埋経塚あり,相伝ふ法華経一字一石に写すと。西にまた坦所あり,塔石と呼ぶ。南に石洞あり,不動像を安ず。石段あり地蔵像を安ず。水あり清冽,閼伽と呼ぶ。下ること二百余歩,石屏(風)相対す,高さ四五丈,長さ六七尺,僅かに並び行くべし,競割(せりわり)と呼ぶ」と記載される。頂上の経塚のすぐ下にある真言宗大覚寺派高越寺と高越神社が信仰の拠点で,毎年8月18日には十八山と称する祭礼が行われ,山伏姿の修験者が集まり,護摩が焚かれる。この日はいまだに女人禁制で婦人は山門のすぐ下の女人堂で深夜の12時まで待機する。高越寺は摩尼珠山護国院と号し,天智天皇の時に役の行者(役小角)によって開基され,延暦年間に弘法大師(空海)が登り,千手観音像を彫り,一字一石の法華経を山頂上に埋めたという。山伏修験道の総本山とされる吉野蔵王権現と一体分身で,吉野権現を東山上と称するのに対し,高越山は西山上と並称される。高越神社は古代阿波の吉野川流域を支配した忌部氏の氏神で,天日鷲命を祀っている。「高越大権現鎮座次第」によれば,吉野蔵王権現が高越寺の別当早雲松太夫に「阿波国麻植郡衣笠山は御祖神を始め,諸神達の集う高山なり,我も衣笠山に移り,神達と共に,夷狄(野蛮人)を鎮め,天下国家の泰平を守らん。汝は天日鷲命の神孫にて,衣笠山の祭主たり,我を迎え奉れ」と命じたという。この時に「蔵王権現高き山へ越ゆる」の文句から高越山の山名が生まれたといわれる。蔵王権現(仏教)を上位にし,天日鷲命(神道)を下位にした神仏習合が形成された。現在も高越山の祭礼には僧侶が神輿を宰領する。県下一円に高越講が組織されており,今でもその名残をとどめ祭礼には多くの信者が集まる。山の至る所に行場が残り,6合目付近には覗き岩の行場がある。頂上の木立の間から剣山が望まれる。頂上の標高は1,122mであるが,南のピークの等高線は1,130mを示し,ここを奥の院と称している。寺の鐘楼横から南へ約3kmの地点に船窪ツツジ自然群生地がある。群生地は昭和36年指定の県天然記念物で,標高1,050mの地点に火山灰地の平地約5haが公園となって広がり,オンツツジを中心に1,000株のミツバツツジが自生する。4月上旬から中旬にはアワノミツバツツジ・コバノミツバツツジ,5月上旬~中旬にはオンツツジが開花する。船窪つつじ公園から南の稜線をたどれば奥野々山に至り,公園から30分下ると高越山青少年自然の家(県営)がある。東の山麓には山川町営のふいご荘(温泉),こうつの里キャンプ場などがある。また,川田川の支流奥野井谷川に沿って明治年代から昭和27年まで操業した高越鉱山があり,かつては本県最大の鉱山であった。地質は三波川帯の結晶片岩よりなる。植物ではブナ林が標高900m以上の山地に広がり,コハウチワカエデ・コミネカエデ・タムシバ・アオハダ・ハリギリ・ミヤマザクラなどの樹木が自生し,林下にはマイヅルソウ・コミヤカタバミ・フクオウソウなどの小群生も見られる。高越山は吉野川流域の象徴的存在で,この地方の小・中・高校の校歌には必ず歌い込まれている。登山道は山川町川田の明王院の前を通り,参詣道を経て山頂まで約3時間かかる。最近は奥野井集落を経由して高越寺の南北まで登る車道が開通し,所要時間は約20分。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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