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下郡
【しもごおり】


県北の吉野川流域一帯を北方(きたがた)というが,下郡は吉野川下流の阿波・麻植(おえ)両郡地方を指し,上流域の上郡(かみごおり)に対する汎称。近世の北方は芳水(吉野川の別称)七郡と呼ばれ,吉野川下流域の名東(みようどう)・名西(みようざい)・板野・阿波・麻植の各郡から中流域の美馬・三好の諸郡を含む地域となっている。このうち吉野川両岸の阿波・麻植両郡と両岸にまたがる美馬郡が隣接する吉野川の狭窄部の岩津ノ淵から上流域を上郡と呼び,そこから下流域を下郡という。上郡と下郡では降雪などの気候,生活様式,言語に至るまで異質性を示しており,上郡は讃岐との共通性が多くみられるのに対し,下郡は上方の影響を強く受けている。藩政期には,下郡は藍作の中心地帯であり,元文5年の北方7郡の葉藍作付け状況では,下郡5郡215村で106万5,000貫の収穫量があった。上郡の美馬・三好はわずか6,000貫にすぎない(阿波藍沿革史)。吉野川の氾濫は家屋や作物に被害を与える一面,水と養分を土地に与えていたが,明治44年から昭和2年まで17年間に岩津から河口まで40kmに両岸連続堤がつくられ,安定した農業が営まれるようになったが,水の便に困り,明治41年板名用水,同45年麻名用水,昭和31年阿波用水,そして同49年吉野川北岸用水が各々通水を始め,昭和61年6月に幹線水路が全線通水し,板野郡板野町まで通水した。下郡のうち板野郡北島町,徳島市川内町などは吉野川の工業用水を利用した工業地帯が形成されているが,下郡のほとんどが農業地帯であり,稲・麦・煙草栽培や畜産などが行われ,板野郡土成町ではブドウ・カキなどの果樹栽培が行われ,また徳島市や京阪神への野菜の供給のための施設園芸も盛んである。また,板野郡藍住(あいずみ)町・北島町あたりでは,徳島市へ通勤する人たちのベッドタウンとして宅地化が進み,スプロール現象が起こっている。土成町では内陸工業団地の造成がされており,麻植郡鴨島町の内陸工業団地では大和真空会社が進出している。吉野川左岸(北岸)を四国自動車道が通る予定になっており,今後も開発が促進されると思われる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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