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ジロウギュウ
【じろうぎゅう】


剣山の南西1.5km,三好郡東祖谷山(ひがしいややま)村,那賀郡木沢村・木頭(きとう)村にまたがる山。標高1,929m。県下第二の高峰。地形図にはこの山の山名の記載はなく,北東のジロウギュウ峠の名だけが記載されているが,著名度からしてもこの山を除いて徳島の山は語れない。木沢村と東祖谷山村との境の峠は標高1,780m。鋭い三角形の山容は顕著で,特に剣山と一ノ森との中間の山稜からの眺めに優れる。この地点からのアングルは徳島県の山岳写真の代表的構図として,観光写真には広く使用されている。剣山国定公園のうち。古くは剣山主峰・一ノ森・ジロウギュウを含めて広義に剣山と呼んだが,登山者の増加によって小剣山といわれるようになった。しかし明治までは混乱があった。「阿波志」では「小剣山,剣山の西南にあり」としているが,「日本地誌提要」では「小剣山,麻植郡木屋平村ヨリ凡三里。大剣山(剣山主峰)の西北ニアリ」としている。これは現在の丸笹山に相当する。おそらく近世および明治期には小剣山と呼ばれていたが,大正期に次郎笈(じろうぎゆう)または治郎行(じろうぎゆう)山と書かれるようになった(美馬郡郷土誌)。「阿波志」の剣山頂上の描写に「絶頂に石あり,宝蔵(岩)という,亭々として傑れ竪つ,高さ五丈,四望広濶,群峰悉く培楼の如し。西南に二石あり,方正にして卓立す,太郎笈といい,次郎笈という」とある。つまり頂上の南西部にある四角い2つの岩を太郎笈,次郎笈と呼んだことから,兄弟のように並び立つ2峰を太郎笈(大剣山),次郎笈と呼ぶようになったと推定される。古老に剣山を太郎笈と呼ぶ人もいる。笈は山伏(修験者)の使用する負い籠であるから,修験者のつけた名とも考えられる。「阿波志」には「剣山の西南にあり,高峻幽深にして,雲日を蔽う,人跡通ぜず。高さ数十丈にして,半腹(中腹)に洞あり,甚だおくぶかし。往昔,智宝院なる者(山伏)あり一剣を得て,遂に絶跡の地に蔵す。石室の中すなわち比処なり」とある。剣山修験者がこの山でも修行したと考えられる。現在,山名は片かな書きが一般的である。剣山の頂上からは指呼の間にあるが,約1時間かかる。登山道は剣山から行くのが一般的であるが,最近スーパー林道の完成により頂上直下まで車の乗入れが可能になり,剣山トンネル東口から登る。視界を遮るような樹木はなく,ミヤコザサを中心にシコクフウロ・イブキトラノオ・トゲアザミなどが点在する。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7196302