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眉山
【びざん】


県都徳島市を象徴する,市内中央部にある山。新町川と園瀬川に挟まれ,南西から北東に細長く縦4km,幅2kmに及ぶ。最高地点は西部公園の真南のピークで290mであるが,三角点は東端の276.7mを採用する。山名の由来は「万葉集」の船王の「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ舟とまり知らずも」から命名されたとされているが,詳細は不明である。「阿波志」には「富田山,西富田にあり。医師七条寿庵始めて眉山と呼ぶ。船王の歌を知らざるなり。いわゆる〈眉のごと雲間に見ゆる〉とは遠山を汎称し一山をさすにあらざるなり」と述べている。他説には,京の歌人有賀長伯が蜂須賀氏の歌会で「立春のみどりをこめて佐保姫の粧ひふかく霧む山まゆ」と詠んだのを起源ともする。いずれにしても山全体を眉山と称するようになったのは,幕末のことで,それ以前は麓の地名から佐古山・富田山・八万山・名東山・中津山・福万山・柿谷山・長谷山などとさまざまに,また部分的に呼んでいた。他に,寺社などの関係から大滝山・勢見山・万年山とも呼ばれる場所もある。大滝山は蜂須賀氏入国の折に,板野郡勝瑞村にあった持明院を眉山の麓に移して薬師如来を安置し,大滝山持明院と号した山号に始まる。「阿波志」に,「大滝山,府城の西南五百歩ばかりにあり,前は海口を望み,下は村里を俯す。三面空闊,方十余里瞭然として指すべし。岩巌争ひ出で,石段渓に沿ふ。その側に瀑布あり飛流一条,その水清冽。三層塔,甘露閣その上に聳ゆ。医王堂・菅公廟左右に対起す。勝景は城府第一たり。この間すべて西富田に属す。瀑布の下流,これを佐古の界となす」とあり,現在の寺町辺りを大滝山と呼ぶ。持明院の三重塔は戦災で消失。勢見山は二軒屋町の辺りをいい,観音寺の山号である。万年山は佐古山の一部で,10代藩主重喜の時に,経費節約のため代々の藩主の墓地をこの一帯に建設することにした山域である。藩政期には藩主の鹿狩りが行われた所であり,「阿淡年表秘録」には「(重喜公)宝暦十一年十月六日佐古山御鹿狩」「(治昭公)寛政九年三月朔日八万山御鹿狩」「(治昭公)寛政十二年十二月三日名東山御鹿狩」などの記事がある。頂上一帯は茂助ケ原(もすけがはら)と呼ばれる。現在頂上周辺にはモラエス館(ロープウエー山頂駅)・パコダ・テレビ塔・駐車場・宿泊所などが建設されており,春の花見・夏の夕涼みをはじめ,四季を通じて行楽の適地となっている。花見の名所としては,博物館横からの表登山道周辺と蔵本の西部公園がある。竹林院の十三層塔は県文化財で,静御前が平家一門の供養に建てたといい伝えられる。恵解山古墳・穴ノ不動古墳なども発掘されている。植物は全山ほとんどアカマツの二次林で所々に広葉常緑の暖帯林がある。旧持明院の寺領だった裏山や新町公民館の裏山には原生林が残っている。地質は三波川帯に属する結晶片岩で,山頂付近は塩基性片岩からなる。眉山中腹および山麓にある寺社には主なものとして,瑞巌寺・観音寺・竹林院・地蔵寺・春日神社・八坂神社・天神社・国瑞彦神社・金刀比羅神社・忌部神社・三島神社・諏訪神社・椎宮八幡神社・黒岩神社などがあり,眉山を信仰の場としている。また,椎宮八幡神社は1,000本を超えるツツジで有名。眉山山頂へは,昭和32年東山麓の市街地からロープウエーが開通,同35年南東山麓から有料道路眉山パークウエーが開通している。登山道は車道が西二軒屋町と南庄町から頂上に通じ,徒歩による登山道は博物館横・金刀比羅神社・三島神社・諏訪神社・万年山・黒岩神社などから数多く通じる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197151