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四箇池
【しかいけ】


もとは高松市南部の東植田町・西植田町にある神内池・城池・松尾池・公淵池の4溜池の総称。のち,神内上池・坂瀬池を加えて6池となったが,現在も四箇池と通称される。いずれも春日川上流の山麓谷をせき止めて築かれ,総貯水量は559万tに上る。灌漑区域は,春日川両岸の高松市東植田・西植田・川添・前田・木太・新田各町の水田1,247haに及ぶ。寛永3年の旱魃を契機に,同12年まず神内池が完成。正保2年にも旱魃が発生し,その対策として同4年城池を竣工。承応3年,寛文8年の干害を契機にして,同12年に松尾池が築造された。さらに文久3年高松藩最後の藩普請で公淵池が完成し,春日川上流に四箇池ができあがった。その後も用水が不足し,ことに,明治中期以降甘蔗畑が水田に転用されたこともあって用水不足が深刻化した。このため明治42年に結成された四箇池普通水利組合は,貯水源に余裕のあった神内池の上流に,大正5年神内上池を築造した。このように新田開発の進行により用水不足が表面化し干害が発生する,そこで新たに溜池を築造する,この繰り返しによって四箇池が完成したのであり,四箇池築造の歴史は,本県の溜池築造の歴史の縮図であるといわれている。昭和25年3月に四箇池土地改良区を結成。同35年3月に県営四箇池導水路新設工事が完成し,神内上池の堤防が1.2mかさ上げされるとともに,神内上池の余水を松尾池・城池・公淵池に導く全長5,659mの導水路が整備された。これによって四箇池内での水利調整が実現し,春日川水系の水資源の利用度が高まった。昭和37年に坂瀬池が加入した。四箇池の灌漑区域のうち,東植田・西植田両町は常水区域であり,四箇池の放水期間中随時必要な用水を引くことができる。その後用水は春日川に合流し,川北集水口からの幹線水路または春日川本流に設けられた横井(井堰)を通じて,順次残りの番水区域を灌漑する。番水区域では,植付け期間中は4日ごとの配水日割により,一般灌漑期間中は6日または7日ごとの配水日割によって灌漑を行っている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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