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心経山
【しんぎょうざん】


青木石切り歌には信仰山と記す。丸亀市の広島西部にある山。標高241.3m。広島町青木集落の背後にそびえ,広島町青木と広島町甲路の両集落に急斜面をなし,東方の塩飽(しわく)諸島の最高峰王頭山(312m)に連なる。王頭山とともに広島の二大霊山で,頂上近くに,延暦年間に四国巡錫中の空海が登り,護摩修法をしたと伝える碑が残り,標高213.6mの地に大師堂,その傍らに護摩堂がある。大師堂の西側には石窟があり,大師石仏と不動石像が置かれている。大師堂の側には「奉為弘法大師一千百年忌供塔」明治17年3月22日を刻む五輪塔などいくつかの石塔が並ぶ。山名は弘法大師伝承にちなんで般若心経からとったものか。昔から広島心経岳といわれる名山として知られ,延宝6年には,近松門左衛門が師事し,柳沢吉保も深く帰依した浄厳大和尚,寛政元年には塩飽を査察中の巡見使の一行も登山した。現在でも旧暦3月21日のお接待,お大師まいりの日に毎年結衆登山,護摩供養が行われ,心経市の日としても知られる。頂の巨岩上には東照宮が祀られる。かつては女人禁制の山で大師堂への道は,お大師道と呼ばれ,ふもとは竹林の中を通り,九十九折りの急坂をなすが,所々に自然石を石段のように配置し,その1つを「大師のこしかけ石(しりかけ石)」と呼ぶ。付近一帯はマツ・クヌギ・バベ(ウバメガシ)などの植生が豊富。山頂の岩場からの眺望は手島・小手島を指呼の間にとらえ優れた景観が広がる。かつてはシカの群生地で,シカの害を防ぐために鹿垣が作られたほどで,現在もその跡が残る。明治27年大火があり,全山が焼け,マツ・カヤの老木,その他喬木類を焼失し,焼け跡には奇岩,怪石が露出してのちの丁場(採石場)の開発への一因ともなった。元来官有地であったが,明治期に青木の12姓に払い下げられ,彼らから他の人々にも貸与され,大々的に開発がなされ,広島の石材(通称,青木石)産業の中核地になっている。大正9年,心経の丁場から鉄剣や人骨が発見され,その後も石器や弥生式土器が大量に出土している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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