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前山丘陵
【まえやまきゅうりょう】


阿讃山地(讃岐山脈)北麓に展開する山麓台・上位台地の俗称。関東地方の多摩丘陵に相当する。山地の時差的隆起に伴い第三紀末期以後山麓に形成された開析扇状地で,浸食・削剥の進行によってなだらかな丘陵状の地形になった。阿讃山地の大部分を占める和泉層群の基盤をなす花崗岩類が広く露出する地形を山麓台,鮮新世―洪積世の焼尾礫層に覆われる地形を上位台地という。また,山麓台・上位台地の地形面上またはその周辺に残丘状に孤立した小高地や,阿讃山地に近い開析溶岩台地起原の小山地も前山丘陵と呼ばれる場合もある。上位台地の模式地は綾川と土器川の分水界に当たる仲多度郡琴南(ことなみ)町の焼尾付近で,標高200~400mの和泉層群・花崗岩類・三豊層群の小起伏地形を粗粒の焼尾礫層が覆い,この地形面上に焼尾礫層や花崗岩,和泉層群の砂岩や泥岩の残丘状小丘が10m以下の比高で点在していたが,その一部は阿讃山地開発事業による農耕地整備で平坦化された。上位台地の標高は,焼尾付近の380mを最高点として,西と東へ次第に低下する。焼尾台地から北東へ連続した綾歌郡綾上町の枌所台地は標高360~200mの丘陵で,花崗岩上を60~80%の砂岩礫,20~15%の花崗岩礫,約10%の安山岩礫からなる礫層が覆う。この北方にある綾川北岸の千疋台地は,綾上町から香川郡香南町へ続く標高200~100mの平頂な丘陵群で,礫層と砂層の互層が花崗岩の小起伏面を覆う。千疋台地は鮮新世―洪積世における綾川と香東川の複合扇状地で,和泉層群起原の砂岩礫が卓越する東部は香東川系,安山岩起原の礫を多く含む西部は綾川系の氾濫原であった。香南町と同郡塩江(しおのえ)町の境界付近には粒径30~40cmの礫が多い礫層が露出し,凝灰質の部分も含まれる。香南町南部の高根山(226.1m)は台地面上に残丘状にそびえる花崗岩の丘陵。その西方には高松国際ゴルフ場が広がり,東方には県営パイロットファームの柿園70haがあるが,この台地一帯は新高松空港の候補地となっている。香東川の東方では,上位台地は次第に高度が低く面積も狭くなり,丘陵性を失って下位台地上に点在したり山麓の小範囲に付着するようになる。土器川の西方でも標高約200mに丘陵状の上位台地が発達し,花崗岩類や鮮新―洪積層の上を焼尾礫層が覆い,その上に花崗岩類の丘が,仲多度郡満濃町江畑付近,同郡仲南(ちゆうなん)町春日北方などに標高約250mで残丘状にそびえている。日本最大の農用貯水池で,有効貯水量1,540万m(^3)の満濃池は大宝年間にこの台地の浸食谷に造られたが,この谷は花崗岩類の小起伏地形を泥岩・小円礫層などからなる鮮新世―洪積世の三豊層群が覆い,その上の浸食平坦面に焼尾礫層が堆積し,これが隆起して花崗岩類の谷を埋めていた堆積物が選択浸食の結果洗い出された地形である。満濃池南方の馬の谷付近では上位台地を切る衝上断層が走向東西,70°南落ちで走り,南側にある和泉層群の基底礫岩は焼尾礫層を乗せたまま比高約60mで北側の焼尾礫層を切って衝上し,上位台地の高さは標高290mに達する。満濃池南西方の低い丘陵群も上位台地で,三豊層群や花崗岩類の丘頂に焼尾礫層が残存するが,仲南町の中山地区農業構造改善事業で丘陵の一部が開発され,茶園・飼料畑などが拡大している。財田川南岸にも和泉層群上に焼尾礫層が乗る上位台地が続き,柞田川沿岸にある三豊郡大野原町内野々付近では隆起した岩石扇状地の上位台地があって,標高180m付近から南東方は和泉層群の砂岩,北西方は粗い焼尾礫層と三豊層群の砂礫層が露出する。大谷池は,この台地の崖端浸食谷に造られた池で,北東部には和泉層群の砂岩が露出し,北西方の岡宮神社では砂岩の上に最大径40cmの焼尾礫層が2~3mの厚さで覆う。和泉層群からなる菩提山(312m)南方の山麓台も同じ地質で一部に焼尾礫層が残存する。この台地の東部203haは,明治34年から昭和20年まで陸軍省直轄の砲兵射撃場で,第2次大戦後の陸軍省廃止と同時に大蔵省の所管となり,入植者48戸が12haを開墾した。昭和22年に開拓地は入植者に,台地の158.8haは紀伊農協に売却され,24.7haは紀伊村に移管された。大部分は耕地となり,兵舎の一部は紀伊・萩原・五郷3村の組合立豊南中学校(のち,現在の大野原中学校に統合)に改造された。同30年には大野原・萩原・五郷の3村と紀伊村の一部が合併して大野原町となり,当丘陵の大部分も同町の一部となった。その一部には,町営公園も設置されている。




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「角川日本地名大辞典」
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