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三豊平野
【みとよへいや】


観音寺市と三豊郡の三野(みの)・高瀬・詫間・仁尾・豊中・山本・大野原・豊浜・財田各町に広がる平野。面積155.99km(^2)。低地(111.61km(^2))・下位台地(44.38km(^2))からなる。北は備讃瀬戸,西は燧(ひうち)灘に面し,南は香川・徳島・愛媛の県境にそびえる阿讃山地(讃岐山脈),東は弥谷・火上・我拝師・大麻などの山地を隔てて丸亀平野と接する。当平野の名称は,明治32年の郡制改正で従来の三野・豊田両郡を合併した三豊郡に由来。低地の地形は扇状地・河谷低地(78.98km(^2)),三角州(22.85km(^2)),自然堤防・砂州(9.78km(^2))などがある。主な河川は高瀬・三野両町を流れて三野津湾に流入する高瀬川,仲多度郡仲南(ちゆうなん)町南部の阿讃山地から流出し,財田町・山本町・高瀬町(南部)・豊中町などから支流を集めて観音寺港で燧灘に流入する財田川,大野原町南部の阿讃山地から流出し観音寺市の三豊干拓地北端で燧灘に流入する柞田川,豊浜町を流れる木庄川・久保野川・吉田川などである。柞田川沿岸の大野原扇状地では下位台地に相当する浸食平坦面を覆う礫層の扇面に開析が進み,柞田川などの河崖には下部に三豊層群,上部に扇状地礫層が露出する。財田川上・中流沿岸の河谷低地でも沖積層が薄く,河床には花崗岩類・和泉層群・三豊層群などが各所で露出する。豊中町中央部を南西へ流れ,観音寺市流岡町で財田川へ合流する沢ノ川は,縄文海進時代には流岡付近の内湾に河口をもっていたが,海退で延長した財田川の支流になった。高瀬川の上流・中流部では花崗岩類の浸食面の谷に堆積した三豊層群・洪積層群が回春による選択浸食で洗掘され,下流部では縄文海進後の海退で陸上に現れた海岸平野を氾濫原が被覆している。三野町の浅津・砂押・西浜・津ノ前・汐木を結ぶ線から海岸寄りは慶安3年から元禄2年に造成された三野津新田の干拓地。三野津湾には塩田も多く,詫間町内で貞享元年頃に松崎古浜,延宝2年から元禄16年にかけて詫間古浜,天保14年に詫間新浜,明治36年に松崎浜,大正元年に松崎沖浜などが造られた。新埋立地では昭和43~47年に44万8,000m(^2)が水面貯木場66万7,000m(^2)を囲んで埋め立てられ木材工業団地となり,同45年に坂出(さかいで)・高松に次ぐ貿易港となった詫間港には,年間100隻以上の木材船が入港する。詫間町の的場・須田などは浜堤上の街村で,伊砂子・大浜は海食台を覆った砂州上に立地し,高谷半島と荘内半島の尖端部はこの砂州で陸繋島になった。箱・室浜・仁老浜・生里・名部戸や仁尾町の中心部などは岩石海岸の湾奥に発達した浜堤・砂嘴の内側を埋めた川の氾濫原に立地。土石流地形は詫間町の上和田内・香田,仁尾町の上家の浦・平原などに見られ,香田では整地されて詫間電波工業高等専門学校が立地。観音寺市では明治期に財田川河口の北岸約5ha,南岸約10ha,昭和34年に一の谷川河口南岸から柞田川河口北岸にかけて約60haが埋め立てられ,柞田川河口南岸から大野原先林の三豊干拓地約100haは第2次大戦後の増反政策で造成された。豊浜町では承応元年に下浜新田,寛文元年に和田浜開田,昭和13年に約20haの埋立地造成などがあった。関東平野の武蔵野台地に相当する下位台地では,財田川中流南岸の財田町石野付近に開析扇状地の河岸段丘があり,段丘崖の比高は18m,段丘面の標高は120mで和泉層群起原の粗礫で構成され,その北岸の我久では段丘面の標高が90mで,厚さ10mの同様な礫層の下に高瀬礫層の小円礫層や三豊層群の青灰色泥岩が露出。豊中町印部の下位台地の深井では,地下42.5mまで粘土または花崗岩質の細砂。財田川南方で観音寺市新田町の下位台地の地表は北部が粘土質,南部が砂礫質。このような台地は三野町の大見・丸尾・吉津,高瀬町の下勝間・上高瀬・比地,詫間町の本村,仁尾町の曽保・平原・家の浦などにあり,荘内半島の山麓では隆起海食台らしい台地もある。三豊平野付近の貝塚では三野町吉津の貝がら遺跡,豊中町上高野の五十鈴神社,仁尾町の小蔦島・南草木,観音寺市高屋町のなつめの木,同市柞田町の油井,大野原町の花稲,豊浜町の院内などの遺跡,前方後円墳では豊中町の御本祖・チャス塚,観音寺市植田町の大塚,同市原町の青塚,同市木之郷町のひょうたん塚,大野原町の王塚など。条里制は菩提山を基点としたと伝えられ,観音寺市の粟井町に一ノ坪・八ノ坪,柞田町に一ノ坪,高室地区に一ノ坪・二ノ坪・三ノ坪・四ノ坪・六ノ坪・七ノ坪・八ノ坪・九ノ坪・十五ノ坪,常磐地区に八ノ坪・十五ノ坪・五反地,豊田地区に五反地,高瀬町の二宮地区に三反地,豊中町の笠田地区に五反地・二反地,大野原町の中姫地区に大坪,残水地区に六反地,十三塚地区に三反田,豊浜町の和田地区に八ノ坪などの地名が残る。農業水利では従来の溜池のほか香川用水からも取水しているが,吉野川の水を徳島県の池田ダムから導水する阿讃トンネルの出水口は財田町にあり,西部幹線水路の終点は豊浜町の姥ケ懐池(有効貯水量21万9,740m(^3),灌漑面積110ha)。柞田川上流の多拱アーチ式ダムをもつ豊稔池は昭和5年,伏流水の減少を恐れて観音寺市柞田町などの農民が反対し現在ではダム分担金の割合に応じ大野原町60%・観音寺市30%・豊浜町10%の比率で配水している五郷ダムは同39年,大野原扇状地の扇頂にある井関池は正保元年築造された。観音寺市には一の谷池(66万1,440m(^3),321ha)・岩鍋池(37万5,220m(^3),120ha)・新池などの池がある。大野原扇状地や柞田川下流沿岸には出水・堀・浅井・深井が多い。財田川沿岸では仲多度郡仲南町の野口ダムが昭和42年,多治川ダム(19万7,000m(^3))が同32年,三豊郡財田町の戸川ダム(20万6,000m(^3))が同33年に建設され,放水量は年最大170万m(^3)。支流沿岸の主な池には山本町の逆瀬池,豊中町の勝田池など。高瀬川沿岸の高瀬町には文禄元年に築造された岩瀬池と三野津新田干拓に伴って寛文7年に築造された国市池などがあり,沿岸一帯を灌漑する。農産物では平坦地にイネ・ハダカムギなど,傾斜地にミカンなどを作る。その他,高瀬川の上流沿岸で茶・タケノコ・タマネギ・モモ・ブドウ・クリ・ダイコン,下流沿岸でタマネギ・イネ科飼料作物,荘内半島の北部ではタマネギ・サツマイモ・ジャガイモ・ダイコン・タバコ,南部ではイチゴ・除虫菊・レタス・クワ,財田川中流沿岸でタケノコ・タバコ・カキ・イチジク・イチゴ・キュウリ・ホウレンソウ,下流沿岸でエダマメ・サヤインゲン・メロン・レタス・ナス・ネギ・ジャガイモ・タマネギ・タバコ・キュウリ・ブドウ,柞田川中流・下流沿岸でナシ・タマネギ・キュウリ・ハクサイ・レタス・タバコ・カボチャ・スイカ・キャベツ・ナスなどを作る。畜産では高瀬川沿岸で肉鶏・卵鶏・豚・肉牛・乳牛,荘内半島で豚,財田川の中流沿岸で肉鶏・豚,下流沿岸で卵鶏・肉鶏・肉牛・豚,柞田川中流・下流沿岸で肉鶏・卵鶏・肉牛などを飼育。水産では詫間湾から荘内半島北部沿岸でエビ・カレイ・スズキなどをとり,ノリを養殖,燧灘沿岸では北部でイカ・イワシ・エビ,中部でイカ・エビ・シャコ,南部でクロダイ・カレイなどをとり,ノリ・クルマエビなどを養殖。観音寺港付近では煮干イワシ・干エビ・かまぼこ・ちくわなどを生産。製造業では詫間湾沿岸に合板・無機化学,財田川下流沿岸に水産加工・紡績・農機・足袋・電気抵抗器・冷凍食品・テレビキャビネット・赤外線電球,上流沿岸に缶詰,豊浜港付近に紡績などの工場があるほか,有明浜に近い阪大微生物研究所が各種ワクチンを製造。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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