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小田川
【おだがわ】


上浮穴(かみうけな)郡小田町に源を発し,喜多郡内子(うちこ)町・五十崎(いかざき)町を貫流して大洲市の鳥首(とりくび)で本流に合流する川。肱川の支流。延長36.3km。主な支流には小田町突合(つきあわせ)で合流する田渡(たど)川(延長12.6km),内子町の内子で合流する中山川(延長24.7km)などがある。流路は御鉾(みかぶ)構造線の北側に東西に並ぶ盆地列(小田盆地・内山盆地・大洲盆地)を連ねて走る。洪積世の流路は内子から西へ大洲盆地に流れていたが,その後の地盤運動と河川の争奪の結果,現在のように内子から南流し肱川に合流するようになった。肱川に合流する付近は秩父古生層の山地に横谷をうがって流下する。上流域の小田盆地は,谷底平野の発達が良好で,水田耕作が盛んであり,山腹斜面の耕地ではタバコの栽培が盛んである。また近年は京都の北山林業より技術を導入し,磨丸太・絞り丸太の生産が盛んになってきた。中流の内山盆地には内子と五十崎の町が開けるが,内子には河岸段丘の発達が良好である。谷口集落として栄え,また宝暦年間から大正期にかけてわが国の製蝋および晒蝋の中心地であった内子の町は3段の河岸段丘がみられ,その段丘面上に新旧の街村が立地する。内山盆地周辺の山腹緩斜面には集落と耕地がよく開け,タバコの栽培が盛んである。またこの付近は明治末年以降クヌギの植栽が盛んに行われ,「伊予の切炭」の生産地帯として全国的に有名であった。内子は木炭の集散地でもあった。昭和35年以降は木炭に変わって,クヌギの原木を利用したシイタケ栽培が盛んである。小田川は河川勾配が緩やかであり,水量が豊富なので,古来木材の流送が盛んであった。明治・大正年間には小田深山(おだみやま)の木材は小田町の蔵谷(くらがたに)あるいは宮原の土場から管流で突合(つきあわせ)まで流送され,そこから筏に組んで肱川河口の長浜まで流送された。筏流しは大正年代から道路が発達するにつれて衰退し,第2次大戦後に消滅する。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7200723