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重信川
【しげのぶがわ】


県中部をほぼ西流する1級河川。温泉郡重信町東三方ケ森(1,232.7m)に水源を発し,ほぼ南西流して山地を脱し,左岸に表川を合して西方に流路を変え,左岸に砥部(とべ)川を,右岸に石手川などの支流を合して伊予灘に注ぐ。流域は松山市,温泉郡川内町・重信町,伊予郡砥部町・松前(まさき)町にわたる。河川延長33.427km。流域面積445km(^2),うち山地80%,平地20%で,崩壊性の地質よりなる水源部の山地と松山平野の扇状地帯を走行し,四国地方に類例をみない荒廃河川。古くは伊予川と称したが,文禄から慶長の頃に,加藤嘉明の重臣足立重信が改修したので,寛永2年彼の没後,重信川と称するに至った。元禄から享保時代には,大川文蔵が曲出しと称する水制工を築いている。改修前の伊予川は久谷の河原地区あたりから,麻生(あそう)―八倉―徳丸―出作―大溝を経て,松前の南方で伊予灘に注いでいたと考えられる。主な支流として,表川・砥部(とべ)川・石手川などがある。流域の松山平野の灌漑は溜池が少なく,重信川の豊富な伏流水に依存するものが多い。明治以降は洪水による被害がたび重なり,特に明治19年および大正12年の洪水による被害は甚大で,破堤は数か所に及んだ。その後昭和18年7月の洪水では破堤・溢水箇所8,耕地の流出・埋没1,730ha,家屋の浸水約1万2,500戸の被害を受け,さらに同20年9月の大洪水により耕地の流出720ha,家屋の浸水約1万1,200戸の被害を受けた。このため昭和18年内務省は調査に着手し,同20年3月直轄改修工事を着工した。以来掘削により河床の切下げを図るとともに,築堤を行い河岸崩壊のおそれのある所には護岸・水制を設けた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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