100辞書・辞典一括検索

JLogos

10

肱川
【ひじかわ】


東宇和郡・上浮穴(かみうけな)郡・伊予郡・喜多郡・大洲(おおず)市を流れる1級河川。肱川本流の水源は標高460mの東宇和郡宇和町正信に発し,流路を南から北東に迂回して40km流れ,黒瀬川を合流し,北西に方向を転じて約15km流下し鹿野川ダムに貯水しながら河辺川,次いで小田川を鳥首で合わせ,肱川本流となり,流路約50km。その間小支川を合わせて流下し,根太山・冨士山を迂回し,大洲盆地を貫流して国鉄予讃本線五郎駅の近くで矢落川を合流して北西に先行性流路をとり,長浜で伊予灘に注ぐ。愛媛県下最大の河川で,幹川流路延長89.1km,流域面積1,210km(^2)で県総面積の5分の1に当たり,山地が91%を占める。地形的に複雑な河川で大小の支流が放射線状をなし,その数は311,わが国で4番目に支流が多い(建設省大洲工事事務所調査書)。また四国内の河川で吉野川・四万十川・仁淀川に次ぐ流域面積を有し水量の豊かな河川である。河床勾配はきわめて緩やかで水量が豊かなため,明治末期の道路開通までは上流奥地から河口の長浜を結ぶ唯一の交通路で,農林産物および生活必需品等を川舟や筏で運んでいた。東宇和郡野村町坂石,喜多郡内子町内子が川舟の終点で,筏はそれらより上流から組んで3日がかりで長浜へ運んでいたが,その後道路の開通に従い馬車・トラック輸送に代わった。灌漑用水は各支川の水を井堰によって引いていたが,下流部は幹川の水を引くことができず溜池に依存して肱川の利水はほとんど行われていなかった。近年に至って揚水機械の発達と技術の向上により平坦部の地域では肱川の主流や支川から利用することになり,土地の利用形態も畑作から水田に変わった。また大正年代に肱川水系に四か所水力発電所が設けられたが,昭和28年から肱川総合開発の一端として鹿野川に,貯水量4,800万t,最大出力1万400kwの多目的ダムが建設され,同34年3月に完成した。社会経済の急速な進展に伴い上水道・簡易水道等が普及し生活様式も近代化されて肱川水系の需要は増加した。また最近鹿野川ダムの上流,東宇和郡野村町に野村ダム建設工事が進められており,広く南予一帯の開発を企画している。肱川流域は現在行政上,東宇和郡宇和町・野村町・城川町,上浮穴郡小田町,伊予郡広田村・中山町,喜多郡河辺村・肱川町・内子(うちこ)町・五十崎(いかざき)町・長浜町,大洲市と分かれているが,上流部の宇和町・野村町・城川町を除いた1市6町2村は藩政期,大洲・新谷藩の加藤氏の支配下にあり,経済も文化も相互に密接な関係にあったので,今も流域の市町村の結びつきは強い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7202785