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物部川
【ものべがわ】


物部川水系の本流。1級河川。県北東部の香美郡物部村,剣山山地の白髪山(1,770m)の東斜面に源を発し,高知平野東部の同郡吉川村で土佐湾に注ぐ。流路延長68km。流域は物部村・香美郡香北(かほく)町・同郡土佐山田町・同郡野市町・南国市・吉川村の1市3町2村にまたがる。上韮生(かみにろう)川・舞川と合流する物部村大栃から上流の本流は槙山川とも呼ばれる。洪水水量は毎秒約3,000tと多く,下流に香長平野を形成するほか,物部川によって運搬された土砂は漂砂となって土佐湾岸の潮流によって運ばれ,平野東部に砂浜を形成し,手結(てい)港の港口をしばしば閉塞した。上・中流は仏像構造線に沿って直線的に西南西流しており,流路に沿ったルートは古来阿波への最短路として知られ,養老2年阿波から直接土佐に至るように変更された南海道も那賀川から物部川筋に至ったとの説もある。現在は,国道195号が県境四ツ足峠トンネルを抜けて徳島県那賀郡木頭村に至っており,大栃(一部は別府(べふ)・久保影)まで国鉄バスが運行されている。江戸期,槙山川流域は槙山郷に,上韮生川流域は上韮生郷に属しており,槙山郷は中世には大忍(おおさと)荘の北東部を占めていた。現存するいざなぎ流御祈祷は平家の落人がもたらしたものと伝えられる国重要無形民俗文化財で,江戸期に編纂された「柀山風土記」はこの地方の歴史・地理・民俗を探る史料である。産業は林業が中心で,かつては楮・三椏・桑の生産も多く,昭和初期までは和牛を飼育して下流の香長平野に賃貸ししていた。また,物部村久保和久保にある韮生鉱山はマンガン鉱を産する。河川勾配が急で,峡谷を刻む上流域では,随所に石灰岩の露頭がみられ景勝地をなす。なかでも,槙山川沿いの別府渓谷,上韮生川沿いの西熊渓谷は奥物部県立自然公園の中心で,最上流域は剣山国定公園の一角をなす。大栃から土佐山田町神母ノ木(いげのき)付近までの中流域では両岸に河岸段丘が発達しており,特に香北町猪野々・美良布(びらふ),土佐山田町佐岡では段丘面が広く水田が開けており,美良布付近で産する韮生米は良質米として知られる。美良布には縄文晩期から弥生時代にかけての複合遺跡である美良布遺跡があり,式内社大川上美良布神社は銅鐸2基を伝える。江戸期には韮生郷の中心で,大正頃までは物部川舟運の終点であった。物部川から舟入川を経て高知まで米・木材・薪炭・楮・三椏などを移送していたが,沿岸の道路整備に伴い舟運は衰退した。昭和32年完成の永瀬ダムや杉田(すいた)ダム・吉野ダムがあり,電源開発,下流域への灌漑用水の供給を行うほか,洪水調節の役目も果たしており,下流側への土砂の供給も減少した。土佐山田町佐岡で流路を南に変えた物部川は下流に香長平野を形成する。高知平野の東部をなす香長平野は不整形の扇状地で,物部川両岸に鏡野・山田野と呼ばれる古期扇状地の砂礫層からなる洪積台地が横たわる。台地面は河床から5m内外の比高をもち,台地の間に新期扇状地が広がり,北端は国分川の浸食により崖をなす。新期扇状地から沖積低地にかけての開発の歴史は古く,南国市の田村遺跡は縄文後期から弥生時代の複合遺跡で,水田住居跡が発掘された。また,条里制地割の遺構が広く認められるが,物部川は洪水氾濫をたびたび繰り返しており,条里制地割の乱れた部分も多く,旧流路も数本認められる。洪積台地の開発は江戸期以降本格的に進められ,野中兼山が神母ノ木に山田堰を設け,右岸に上井(うわゆ)・中井・舟入,左岸に父養寺(ぶようじ)の灌漑水路を設けて導水した。開発には郷士が登用され,台地上には旧郷士屋敷が散在し,散村的景観を呈する。また,後免・土佐山田・野市の在郷町もこの時期に形成された。かつては米の二期作地帯として知られ,葉タバコ栽培も多かったが,現在二期作はほとんど消滅した。代わって施設園芸が盛んになり,ナス・ピーマン・キュウリ・シシトウなどの生産が多く,特に河口西側の砂地にはビニールハウスが連続して並び,一部ではハウス養鰻も行われている。河口西側には高知空港があり空の玄関口となっており,下流には物部川橋・新物部川橋・物部川大橋が架かり,両岸の交通の便に供されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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