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吉野川
【よしのがわ】


吉野川水系の本流。1級河川。県北部を東流する。流路延長約194km。県内の延長は約85.5km。四国三郎の別称は著名で,阿土川ともいった(阿波国図鑑)。土佐郡本川村寺川の北部,瓶ケ森(1,896.5m)南の白猪谷に源を発し,四国山地中を東流し,徳島県の阿波池田を経て徳島に至り紀伊水道に注ぐ。流域は,土佐郡本川・同郡大川の2村と同郡土佐・長岡郡本山・同郡大豊(おおとよ)の3町にわたる。県境の石鎚山地と手箱山・大森山などの間を東流し,大森川・葛原川・大北川・瀬戸川・地蔵寺川・汗見川・立川川・小南川など大小の支流をあわせ,石鎚山地と剣山山地の間を,縦谷を形成して流れる。土佐町の鎌滝山と岩躑躅山の間は横谷をなす。本山町付近からは三波川帯南縁と清水構造帯にほぼ沿って流れており,南側の御荷鉾緑色岩類の分布する地域からの支流により,独特の水色をしている。流域には土佐町土居や田井,本山町本山などを中心とする本山盆地以外には広い平野はなく,縦谷地域にわずかに平野がみられるにすぎない。大豊町岩原からは徳島県に入り石鎚山脈に先行谷性の横谷を形成し,北流して大歩危・小歩危の峡谷をつくる。これらの横谷は石鎚山地や剣山山地の隆起に比べ,川の浸食力が強く,隆起前の谷を流れている先行谷で,段丘の発達もみられない。流域には白髪山などの古くからの林業地もあり,近世には木材を流材にして徳島まで運んだこともあった。江戸期の元和7年には土佐藩の借銀は2,000貫にも達したので,本山の領主野中玄蕃(直継)は福岡丹波とともに藩政改革を実施。その主要点は農民の莫大な労役を駆使して材木を伐採し,上方市場へ搬出して大坂の蔵屋敷を通じ材木を商品化しようとしたものである(本山町史)。「元和八年御奉行野中玄蕃,御仕置小倉少助,片岡嘉右衛門,上野長兵衛白髪山ニて材木仕成有,奉行ハ馬淵八左衛門,遠藤茂左衛門吉野川を流し阿州より大坂へのほせける此川を流すの初也」(同前)とあるように,この時以後吉野川を利用して河口の阿波国撫養まで流された。吉野川の流材は他面井関・堤防の破壊などいろいろな問題が生じた(同前)。さらに河川は流材だけでなく,豊永地方の中屋付近から川戸付近にかけて長瀞が形成され,流域には筏津がみられることから(天正16年殖田郷後山堺之村豊永地検帳),筏舟による物資の輸送も考えられよう。明治15年の「高知県統計抄」には長岡郡の渡し場として「女□津・本結津・中屋津・ヒダイ津・鳥首・アド・渡津・南・十二所・川口津・中島・古味・土居・大久保」,土佐郡では「蔓橋・釜ケ崎・大橋・船戸・筏津・井ノ谷・芳ノ本・江中筏」が見える(皆山集)。吉野川上流は急流で,支流も多く,また降水量も本川村で年間3,000mm以上と多く,本川村の大橋ダム(昭和14年完成,最大出力5,300kw)・長沢ダム(昭和24年完成,出力5,000kw)・大森川ダム(昭和34年完成,最大出力1万2,200kw)のほか,昭和57年には土佐町瀬戸川上流の稲村調整池と大橋貯水池の間の落差567mを利用する本川揚水式発電所(出力30万kw×2基)が建設され,さらに大川村高藪発電所(出力1万4,000kw),土佐・本山両町にまたがる早明浦ダム(吉野川総合開発の中核として昭和42年から工事が開始され,同53年に完成。最大出力4万2,000kw)など電源開発が進んでいる。長沢ダムから吉野川取水路により,仁淀川支流枝川川の吾川郡吾北(ごほく)村の安望へ,また支流の瀬戸川・地蔵寺川から鏡川に高知市都市用水として分水しており,県の水がめとして水資源開発も進んでいる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7208677