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遠賀川
【おんががわ】


嘉穂郡嘉穂町から,筑豊地方を北流し,遠賀郡芦屋町で響灘に注ぐ1級河川。流長56.7km,流域面積1,030km(^2),遠賀川水系の主流。流長では,筑後川・矢部川に次ぐ県下第3位,流域内人口では筑後川に次ぐ県下第2位。源を嘉穂町と甘木市との境にある馬見山に発し,彦山川など大小72の支流を合わせる。飯塚市から上流を嘉麻川ともいう。馬見山に発する本流は,嘉穂郡碓井(うすい)町で芥田川,同郡稲築町で千手川・山田川を合流し,飯塚市で朝倉郡夜須町の三箇山に源を発する穂波川と建花寺川を合わせ,飯塚盆地を蛇行して北へ流れ,鞍手郡小竹町で庄内川を,直方(のおがた)市で田川郡添田町と大分県との境にある英彦山に源を発する最大の支流彦山川を合流して水量を増し,藤野川・尺岳川を,さらに下って鞍手郡若宮町の犬鳴山に源を発する犬鳴川を合わせ,直方平野を北流して遠賀郡遠賀町で西川を合流する。合流地に盆地・平野を形成し,流域は6市25町1村にまたがり,上流で広く,下流で狭い樹枝状水系をなす。川名は,芦屋浦で響灘に注いでいた岡川の転訛という。流域には,炭層を含む古第三紀層の丘陵が広く分布している。また,流域は遠賀川式土器で知られる農業の発祥地で,早くから水田耕作地帯として栄えた。明治中期から昭和30年代のエネルギー革命まで,多くの炭鉱が立地し,日本最大の石炭産地,筑豊炭田として,直方・飯塚・田川・山田・中間の5市をはじめ多くの炭鉱町を発達させた。鉄道が発達するまでは遠賀川は重要な輸送路で,石炭の輸送は五平太舟とか,かわひらた(川艜)と呼ばれる川舟で堀川を経由して若松へ運ばれ,川筋という言葉を生んだ。水源に花崗岩地域が広く分布することなどから,土砂の流出が多く,遠賀川の治水はすでに江戸期に,河川の浚渫,洞海湾に放水する堀川の掘削が行われた。明治38年の大洪水を契機に,同41年から国の直轄事業として築堤と河道掘削などが進んだ。しかし,炭田の開発は鉱害を生み,河川を荒廃させ,昭和28年の大水害後,老朽堤防補修を重点に改修工事が進められ,堤防の新設・拡幅・堰と橋の改築が続けられる。水量が豊富なことから,筑豊地方をはじめ北九州市の重要水源となり,北九州市は力丸ダム(鞍手郡若宮町)・中間取水場(中間市),伊佐座・猪熊両取水場(遠賀郡水巻町)から上水・工業用水を取水。同57年完成の河口堰(有効取水量884万m(^3))は,北九州都市圏の新たな水源地としての役割を果たしている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7209950