100辞書・辞典一括検索

JLogos

27

勝島
【かつしま】


宗像(むなかた)郡玄海町神湊にある小島。草崎半島北端から300m北西海上にある周囲1.7kmの無人島。島の最高地点,城の辻(98.2m)には,城跡や遠見番所跡がある。地元の呼称は,「かちま」で,地名伝承は数種に及ぶ。宗像(むなかた)郡津屋崎町の勝浦の,神功皇后西征にかかわる地名伝説と同起源のもの。壇ノ浦の合戦当時,安倍宗任の孫義宗がこの島に拠り,山鹿秀遠と戦って大勝利を得たことにちなむもの(地理全誌)。島の形が船の舵に似るとするもの。周辺の海域に豊富な海草のカジメに由来するものなどがある。島の古記録は,年毛神社(津屋崎町勝浦)にあり,「年毛大明神御社記」によれば,「此の島寛永の頃までは,勝浦の内なり,近世神湊に属す。古へは,野牛,羊の牧なりし故,牧大明神の社在りて産神とす。此牧博多に蛮船出入せし時,其の食料に充つと云」とある。永禄3年,占部甲斐守尚安は勝島に草崎城の支城を築城,寛永年間には神湊から6戸が移住,正徳・享保年間の頃には海賊追捕として福岡藩の御船頭伊藤杢左衛門および早船水主42人が居住し,宝暦年間に高橋満右衛門が波止を築いた(玄海町誌)。幕末~大正期には20戸前後の漁家が居住したが,昭和期に入り急減,同36年に無人島となり,同52年には,牧神社も神湊の津加計志神社へ合祀された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7210093