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筑豊地方
【ちくほうちほう】


県北東部,遠賀(おんが)川流域を指す地域名。川筋とも同地域。北の遠賀川下流域を除く三方を福智・英彦山・三郡の各山地に囲まれ,遠賀川が多くの支流を集めて北流。かつては日本最大の石炭産地であった。筑前(鞍手・嘉穂郡)・豊前(田川郡)の旧2国にまたがることから筑豊と呼ばれる。筑豊の名は,明治21年に石炭輸送を目的として設立された筑豊興業鉄道の社名に使われたのが最初で,鉄道の敷設とともに同18年に結成された豊前国筑前国石炭坑業人組合は同26年,筑豊石炭鉱業組合と改称。この頃から,以前は「筑前豊前二州の炭田」とか「豊筑五郡煤田」などと称した炭田も筑豊炭田と呼ばれ始め,石炭産地と結びついて遠賀川流域が筑豊といわれるようになった。鉄道が発達するまで,石炭の輸送は,かわひらた(川艜)とか五平太舟と呼ばれる川舟に頼り,遠賀川の川筋は重要な輸送路で,川筋という言葉を生み,川筋気質を作った。流域一帯には石炭層を含む古第三紀層の小丘陵が広く分布し,明治20年代から大規模な炭田開発が進められ,石炭産業を中心とした地域が誕生,直方(のおがた)・飯塚・田川・山田・中間の5市をはじめ多くの炭鉱町を発達させた。昭和32年頃には,大小合わせて233の炭鉱を数え,出炭量は年間1,497万tにも達したが,同30年代からの石炭合理化政策により閉山が相次ぎ,同51年の貝島炭鉱閉鎖を最後に,筑豊の炭鉱は姿を消した。多数の離職者を出し,人口激減など深刻な打撃を受けたが,工業団地・住宅団地の開発による企業誘致や,農牧業の振興など産炭地振興策が進められ,日々変貌している。遠賀川流域は古くから開けた地域で,遠賀川式土器をはじめ,鞍手郡若宮町の竹原古墳(国史跡),嘉穂郡桂川町の王塚古墳(国特別史跡)など多くの遺跡が分布。東部の福智山一帯は北九州国定公園に含まれ,古くから修験道の霊山として開けた英彦山一帯は耶馬日田英彦山国定公園に指定されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7212692