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花見松原
【はなみまつばら】


古賀市と宗像(むなかた)郡福間町にまたがる松原。玄海国定公園に属する。「粕屋郡志」に「花見松原 席内(むしろうち)村大字久保の北三町海辺にあり。南北二十一町東西十二町白沙地なり,松原の内小丘あり花見山と云ふ。千鳥ケ池の沼も此花見山の東にあり」と見え,筑前八所松原の1つで,古賀松原ともいう。旧国道3号と福間バイパスの接点である西郷川以南から古賀市の花鶴(かずる)(大根)川河口付近までを花見松原と称し,北には福間松原,南には粕屋郡新宮町の上府(かみのふ)・楯の両松原が続く。鉄道唱歌の一節に「花見松原花もなく,煙にかすむ青柳や」と歌われ,昭和初期の全国新名所コンクールでは,「新舞子」として名乗りを上げた。白砂青松,緑の樹間から真正面に相ノ島,沖合に小呂島,南西には志賀島・能古島から糸島半島の山並みを望み,北西には渡半島の眺望が展開。往時,花見山周辺の松原は,フジの名所で,立花山城主立花鑑載が,毎年花見の宴を張った故事が,花見の地名の由来という。福岡藩は林政には力を入れ,宝永3年,古賀村の中川浜の3,000坪に1万5,000本,筵内村のごらく原の1万5,000坪に7万5,000本の松苗を植樹した。元文3年の定では,松原の荒廃に伴う再植林と,下草などの伐採の禁止を命じている。宝暦年間,花見一帯の山番には,席内村久保から分家した人々があたり,海辺の造林補植とともに,砂丘内側の低湿地が開拓されていった。現在,花見の地名は福間・古賀双方に残るが,西鉄宮地岳線の花見駅は古賀市の中川右岸にあり,商業地域としてにぎわう。主要地方道北九州芦屋福岡線沿いの松原は,工場の進出がめざましく,宅地化も急速に進む。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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