100辞書・辞典一括検索

JLogos

12

牛津川
【うしづがわ】


六角(ろつかく)川水系の1支流。多久(たく)市の西端,八幡岳(763.6m)南山腹の猪鹿(ちゆうろく)付近の谷に源を発し,板屋川・向谷川・藤川内川・中通(なかどおし)川・瓦川内川などを合わせて東流し,同市東多久町石原付近で,南流する今出川と北流する石原川を合わせて船津に至り,小城(おぎ)郡小城町との境をなして東南流し,晴気(はるけ)川を合わせて牛津町に入り,牛津江川を合わせ芦刈(あしかり)町との境,さらに芦刈町と杵島(きしま)郡江北(こうほく)町との境をなして1級河川六角川に注ぐ川。延長28km,流域面積165km(^2)。昭和33年,多久市東多久町裏納所(うらのうそ)から上流の同市多久町道祖元(さやのもと)までの13.8kmが国の直轄河川となり,下流部の名称牛津川の名で総称するようになった。それ以前は,現多久市内を流れる部分22.2kmは多久川と称していた。多久川の名は「野田家日記」の嘉永6年に記されているが,「丹邱邑誌」には本川(本江)とあり,「小城郡村誌」には多久川となっている。「疏導要書」の多久川の項に納所(のうそ)川ともいうとある。「小城郡村誌」の板屋村の項に「多久川 北ノ方八幡岳ニ発源スルヲ猪鹿川ト云フ 西南ノ方徳蓮岳ノ西ニ発スルヲ山尻川ト云フ 両水合流シ多久川トナル 東ニ流レ多久村境ニ入ル……」,そして多久村・長尾村・下多久村を経て,別府(べふ)村の項に「村西下多久村ヨリ来リ 東ニ流レ南方納所村ト池上ケ里トノ間ニ入ル……本川南方納所村境マテ海潮ノ進退アリ 石炭小船往来スル者此処ヨリ上流二里多久村山崎ニ至ル」と記しており,多久川は明治初年ごろから同30年代まで石炭運搬用水路として利用された。有明海の潮の干満の影響は川口から約16km上流の納所まで達し,「小城郡村誌」の納所村の多久川の項に,「水深シ潮来レハ一丈余潮退ケハ五尺」とあり,長雨と満潮が重なると氾濫しやすい河川であった。早くから作水としても利用され,いくつもの水路もつくられた。中でも羽佐間(はさま)から松瀬(まつぜ)・納所・裏納所を経て杵島(きしま)郡に通じる全長12kmに及ぶ羽佐間水道は,佐賀藩士成富兵庫茂安の計画によるものと伝えられ(疏導要書),最も規模が大きい。当川は水路としても早くから利用され,川沿いに牛津・柳鶴・砥川・赤石・船津・長尾・山崎などが河港として栄えた。中でも牛津は「一(市)は高橋,二(荷)は牛津」とうたわれ,河港商業都市として栄えた。船津は租米積出港,長尾は近世末期の石炭積出港,山崎は明治期の石炭積出港であった。昭和55年集中豪雨に際し,当川の堤防が決壊し牛津町は水浸しとなり,大きな被害をこうむった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216087