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高津原
【たかつはら】


旧国名:肥前

「たかつばる」ともいう。東を鹿島川支流中川,西を黒川にはさまれ,蟻尾(ありお)山を頂点として北東に緩やかに伸びる低い台地に位置する。江戸期以前は森林であったが寛文8年に武士や農民が入植して以後急速に開けていった(鹿島藩請役所記録)。鷲の巣遺跡周辺からは縄文時代の石斧・石匙・石鏃などが散在的に出土し,当地内一帯からは弥生時代の磨製蛤刃石斧・打製石鏃・磨製石包丁などが広く発見されている。高津原城内の旭ケ岡公園からは弥生中期の甕棺と箱式石棺が混在して出土し,その周囲からは壺などの土器類も発見されて群集墓の跡をとどめている。また高津原古墳群とよばれる相当広範囲に及ぶ古墳群があり,その名残を留める鬼塚という字名もある。高津原古墳群は,鷲の巣古墳群・城内古墳群・吹上古墳群・妙見淵古墳群の4つのグループに細分され,鷲の巣古墳群は箱式石棺を内部主体とする数基の古墳が近年まで残存していた。城内古墳群はよいごろ坂から破壊古墳が1基発見されている。吹上古墳群は,完全に破壊され今やその痕跡も留めていないが,相当数の古墳が散在していたといわれる。妙見淵古墳群は破損古墳2基が残存し,近くのミカン園からは円筒埴輪片も発見されている(鹿島市史)。蟻尾山は蟻尾城(在尾城)があったところで,文正元年大村家盛によって築かれ,文明9年の戦いで千葉胤朝によって落城した。山頂には永正9年建立の弁財天を祀る当県最古の石殿がある。また蟻尾山は土地の人々によって「ブゼンブ(豊前坊)さん」と呼ばれ,かつては英彦山との関係が深い修験の霊地であったといわれる。高津原台地の最北端に突き出たところにある「鷲の巣」はかつて鷲巣があったことから鷲の巣と呼ばれ(貞享2年「鹿島志」),天正4年竜造寺隆信の藤津攻めに際し,有馬義純の砦となった鷲巣城があったところで,今日ではわずかに3代藩主鍋島直朝を祀る思瓊(おもに)神社が残って森の形をとどめているにすぎない。高津原城内にある信福寺は草葉観音とも呼ばれ,本尊の木造観世音菩薩立像は古くから慈覚大師の作と伝えられている(鹿島志)。
高津原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
高津原(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217493